今回のお話は、あくまでも私の個人的な感情にもとづく体験談です。
もしご自身が該当されると思い、気分を害されたら、この記事から離脱されることを強くおすすめします。はい、忠告しましたので。なぜ、こんな前置きを置くかといいましたら、「自分を作家と勘違いした者の末路」で申し上げましたが、京アニ放火事件を思い出すような方と接触したくはないからです。
二次創作歴が長い私は、しかし、「交流ツールとしての」ツイッターやピクシブを活用していません。もっぱら受信用、リサーチ用のみです。ブログでの活動歴が長いわけですし、必然、二次創作上の想い出はかつての個人サイトかブログに勝ります。
よく二次創作者のなかで、メディアの違いが話題になります。
しかし、私はその好き嫌いは、場所ではなく、道具ではなく、その人の人柄や属性によるものだ、ということをかつてお伝えしました。
ところで、以前にもこの二次創作論で書きましたが。
私も二次創作者のはしくれ。マイナージャンル専門とはいいながら、同ジャンルの二次創作者さんからコメントを戴いたことがあります。とくに字書きさん。しかし、おじみそな私はどんなにいい評価を抱きましても、相手先の二次作品へのコメントをすることは控えていました。私がやると、拙ブログでのレヴュー記事でわかるでしょうが、それそれは上から目線な辛らつな酷評をするに決まっています。お金で買う消費者目線ならばともかく、趣味で個人が楽しんでいるものに、粗探しされたくはないのが、人の常でしょう。
とくに、コメントどころか距離を置きたかったのは。
字書きさんで、オリジナルものを書いている方です。失礼な言い方ですが、承認欲求が高いワナビっぽい人。どこかに応募してデビューならずとも、多少の実績があった人なのかもしれません。中には創作の持論まで展開している人もいます。ご丁寧に、こうしたほうがもっと創作よくなるよ、というアドバイスまでしてくれるかもしれません。商業デビューして大御所になってからすれば、と思いませんか?
いや、私も拙ブログで資格だの受験だのの勉強法を上から目線で書いたことがあるから、わかります。
誰かに教えることによって、自分がその道の一流ぶりたい心持ち。この二次創作論ですら、そうです。同人誌を出して大手サークルになってから書きやがれ、と思っている方もいるでしょう。そのとおりです。そして、自分のことは棚に上げて他人を批判する人が集うのがネット界隈です、SNSだろうが、ブログだろうが、お構いなく。
こうした人を便宜上「擬制二次創作者」と私は読んでいます。
「擬制」とは法律上、同一と見なすの意味ですが。オリジナルものを描きながら、実際は既成作品の二次創作に近いものを手掛ける方を指します。百合モノとかBLものとかには多いですよね。頭だけ挿げ替えて、自分が見たあちこちの作品から引き抜いた要素を適度にアッサンブラージュしてつくっているだけの。公式ジャンルは、「自分の創作で使用できる素材」としか考えていない。そして、二次創作者を下に見ていますし、他人の二次創作の悪口を平気でネットで言いふらす人です。
自分が視野が狭くて頑固、他人を受け入れる度量が狭い。
そう判っているだけに。こうした方々と付き合うと絶対に疲れると認識していました。
オリジナルものを手掛けたい自称クリエイター型のひとは、自分を評価してくれる人=友だちだと心得ているので、私にとっては面倒です。個性的で明るく社交的なひともいますけど、他人を振り回す気配があるので。
原作ジャンルについて語りたいのに、その人の本義は自分基準なので。私のように人間に興味がなく、風景だとか、文字だとか抽象的な、無機質なものにしか関心を抱かない、寒い人間もいます。
もちろん、こうしたワナビ系の方が心得ていて、同じ同志としかつながらないのでれば、なんら問題はありません。かつてのトキワ荘みたいに、創作者どうしが固まって語り合って、たがいの批評をしてブラッシュアップしていけばいいんですね。手塚治虫みたいに、嫉妬心の塊だけど向上心に燃える仕事師もいるでしょうから。
それにしても、最近のオリジナルもの、ネット上の投稿サイトも商業誌もなんだかどれも同じに見えて、選びようがないと思うのは、私の目が曇っているからなのかも。いい加減、異世界転生とか、悪役令嬢とか、人気だからアリみたいにたかるんじゃなくて。自分はマイナーだけれども、世界に一つの花めいた誰にも追随できない価値を生み出したいというパイオニア精神あふれる創作物はないものか、と芸術研究をしてきた私は思うわけです。高尚さん乙!という声が聞こえてきそうですね。
【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。