オタクは、カップルが違うとか、別のジャンルを好きになったとか、そんな理由で仲間割れしがちです。
ところが、私は学生時代含めてオタクっぽい友だちはいましたが、どこそこの作品についての認識違いで喧嘩沙汰になったということは、ほぼありませんでした。
学生時代でも、おのおの、卒業研究のテーマに選んだ作家やジャンルは異なります。
ある者はニーチェ、ある者はバタイユ、ある者は中世の日本美術、さらには映画やポップミュージック。演劇、立体作品、などなど。けれども、どの芸術ジャンルがいいとか悪いとか、そんなことでけなしあわずに、ああ、君はそれが好きなんだね、でも、私はコイツが三度の飯よりも好物なんだ、ということを熱く語ったものです。
狭い意味でのサブカルヲタク、アニメや漫画の趣味でも、布教した本が読まれなかったとか、違う作品にハマってしまったとか、そういったことで疎遠になることはまったくありませんでした。私はとくに独りで楽しみたいタイプだったので、同じアニメ好き友人がいても、新しい作品を気に入ってくれなくてもいいよ、というスタンスです。
社会人になっても、オタクっぽい友人は幾人か交流がありました。
けれども、いろいろあって、意気投合しても、離れてしまうことが多いもの。職場が違えば、もう会わなくなりますよね。そのあとメール交換などをしても、食事をしても、遊びに行っても、むしろそうなったからこそ嫌になることがあります。
では、なぜ、私はかつて仲が良かった友だちと離れてしまったのか。オタクっぽくて仲がよろしかった友人と。煎じ詰めれば、人生的な価値観の違い、なのでしょう。
具体的にいえば、働き方の違いでした。
お金が増えたら満足か。好きな仕事ならば非正規でもいいのか。田舎よりも都会のほうが仕事がいい。中小企業は駄目、派遣でも大企業がいい。英語が使えたら仕事ができると思われる。真面目な奴に働かせて、私はサボりたい。週5日、早出サビ残の正社員よりも、フリーランスで働く方が気楽。日雇い的な仕事ばかりで食いつなぐ。コロナ助成金関係の仕事は高時給でおいしいので、もっともっとコロナが長引けばいいと言われたときは、ゾッとしました。学歴や職歴を偽って転職するのはあたりまえだとか。バレた時のリスクを考えたことがあるのでしょうか。
働き方に加え、家族構成なども加味されますよね。
結婚や子持ちの有無、配偶者の働き方、親の介護育児、などなど。
同じ学び舎で机を揃えた仲であっても、学校を出てしまえば、辿る人生はみな同じではありません。高偏差値の学校を卒業すれば人生開けるといったのは、まったく嘘ではありませんが、絶対の保障でもありません。
私が知っている親御さんのなかには。
高所得家庭の子たちとつながりたいから、子どもを地域の学校ではなく、遠くのお受験校へ進学させる、という方針の人もいます。医者や大学教授、お役人や大企業勤めなどの子とお友だちになれば、我が子の人生が開ける、といった姿勢です。でも、ほんとうにそうなのでしょうか?
私が縁を切った友人は、我が実家よりも恵まれたサラリーマン家庭等の子が多かったです。
でも、なんだか、考え方といおうか、職業に対する意識がゆがんでいるように思えたのです。私自身は、商人や農民の家系ですから、お金は信用第一、働かざる者食うべからずの考えで育ちましたし、勉強ができることそれだけが誇りではないことをなんとなく感じていました。けれども、彼女たちは、いかに楽をして働いてお金儲けができるか、独立して目立てるか、ギャンブルや投資で一山あてて、だとか。そんなことばかりを主張していて、ついていけなくなりました。
最後に言われたのは、あなたは欲がなさすぎる、宗教家ぶっているのか、という皮肉めいた言葉でしたが。
私には、彼女たちの、あまりにギラギラしすぎた野心のほうが、理解できませんでした。そして、私のどこか潔癖すぎる発言は、享楽的に生きたい彼女たちからはさぞや煙たがられていたのでしょう。
私自身に上昇志向がないわけではないのですが、足るを知る者は富む、という言葉を大事にしているからです。不相応な流れに乗って調子づいた反動がかならず訪れることがあります。ですから、イケイケどんどんな友人たちをみると、距離をおきたくなってしまったのです。
そんな私は、現在、友だちらしい友だちもいなく、飲みに誘われることもなく。
ただ職場と自宅、たまに空き家を往復する毎日ですが、煩わしい人間関係に感情を乱されなくていいと、自分を安堵させています。
ただ個人的には、ひとには性格の良し悪しは多少あるのだから、上手く付き合っていくことも大事なのでしょう。ただ、私にそのスキルがなかっただけなのですね。他人に気を遣いすぎると疲れてしまうので。
(2022/09/10)