ふとしたことが気がかりになって、それが水におとしたインクのようにじわじわ広がり、濁ったままのこころで事に対処する。すると、何度もミスが重なったり、叱責が増えたりで、しまいに手が動かせなくなってしまう。最近、というか、前からそうだった気がしたが、職場でそうしたトラブルが多発してしまい落ち込んでいる。幸いなのは、正社員なので、ちょっとしたことでも解雇はされないことだが。おまけに病状もあって、ナーバスなわけだ。
私が理屈っぽくなるのはなぜだろう。
アタマがいいとうぬぼれがちな人間にありがちな、自分の非を認めない性質。しかし、あきらかに相手が間違っていて、どうしたって言い返してやりたい。こちらのミスばかりを責め、自分もしくはお気に入りの部下のミスについては寛容。そういう理不尽が続けば、感情もくさってしまう。この性格からして内蔵の腫瘍によくないことはわかっているのだが。
マインドフルネス関連、ドラッガーやらのビジネス哲学書、宗教家などのエッセイなどを読み漁り、めぼしい言葉があれば、すぐメモにとり、手帳に書きつける。そんなことを繰り返しているのに、なぜ、自分は仕事ができる人間になれないのか、いやいや、仕事ができると評価されないのだろうか? ついには評価しない側が間違っているのではないかとさえ責任転嫁してしまう。
なまじ総務などという全社員の給与や賞与がみれる立場にいるだけに。
仕事をほどほどサボっていたり経営者の前で立ち回りはいいが部下の陳情には無視の管理職が評価され、社長の前ではニコニコ顔だが裏では二面性のある女性、まじめにコツコツの新人や声の小さいベテラン組が割を食っている。そういう人事評価をみると、やるせない気分にされる。ただ、自分は会社の中枢にいて恵まれてはいるので、たしかに社内外でもっとも厳しい評価にさらされやすいのだ。
私の努力はいつ報われるのだろうか?
いつしか、私は一時間前の早出出勤をやめてしまい、半時間多く寝たり、仕事前の趣味の読書を多くとるようになった。
だが、よくよく考えてみれば。
社内で評価されている人はたしかに勤続年数10年以上の、歴史を作ってきた人。信頼されていてあたり前で、あの人の言うことならば間違いないと太鼓判を押されているのは何処の会社でも同じ。それが社内政治なのだから。私のような氷河期世代で会社を渡り歩いた人間からすれば、その職場職場のおかしな風習や異常なのに現場でアイドル扱いされている要注意人物に眉をひそめたくなるのに、その場にいる人は慣れているのか気づかない。私はそうやって、どの職場でも浮いてきたのだろう。
読書で気合のあるビジネスフレーズを仕入れる、書き留める、仕事ができる一流の人間になった気分になる。だが、会社に出ると、そのメッキはあっさりと剥がれてしまうのだ。子供じみた言い訳をしてしまう、ふてくされて席を一時離脱してしまう、そうした情けない自分から卒業できないもどかしさがある。これは私だけでなく、他部署にいる人にも見受けられるのだ。なにか職場に嫌な空気が蔓延しているのを感じとる。
いくらきらびやかな美辞麗句を口に出せることができようとも、しんなりしたスーツを着ていようとも、私はどこかでつまいづいてしまう。そして、いつのまにか、自分の殻に閉じこもって、自分だけの仕事しかしなくなってしまうのだ。
この癖は何処から来たのかといえば、学生時代、いやそれ以前の孤独を好む暮らしぶりからなのだろう。本質的に他人と関わるのが嫌で、ひとに奉仕したいと口先ではいいながらも、めんどうなお願い事や提出物の不備があれば寛容にはなれないのだ。他人には失敗をする自由があり、それを認めないと自分のミスに許されずに生きづらくなるということを頭では理解しながらも、顔や言動ににじみ出ていくのだろう。
これこそが、世界の理解をテキストに頼りきりだった読書家気質のあやまち、だと私は思っているのだ。
人と人との関わりでは自分の設計通りに事がうまく運ばないことが大半で、こちらが折れないといけないことはたくさんある。自分のせいではない失態で請求書を作り直しさせられたとか、試算表の修正を迫られ伝票やデータの書き直しに時間を奪われたとか。手が空いたので他の部署の作業を手伝ったら、そいつらが有休を取り出したり、外出して仕事をさぼるようになったとか。
本にはよき仕事人とはこうであれ、部下とはこうであれ、上司とはこうたるべきだ、等とつらつら書いてある。
だが、世のほとんどの人はそうした規律や訓戒にはどこ吹く風で従わない。どうしたって感情が先立ち、不満が漏れ出て、ついつい愚痴を書きつけたり、暗い思考がふるぐる頭の中をリピートしているのだ。組織は一体になれっこない。
私はいったいなんど同じような正解を求めては似たような本ばかりを読んでわかった気になり、知ったふうに記事を書いてはできたつもりになっていたのだろうか。
なまじ大学院を出たばかりに士業資格をとったばかりに、周囲の人間が馬鹿に見えてしまうのだろう。もちろん礼儀をもって接しているのだが、ときおり、いらだちがほの見えてしまうのだ。職場のやり方は古い、いまこそ変えてやらねば、などと思って、独り相撲をしている私は滑稽に見えるのだろう。
研究者気質の人間は文字を追いかけ、脳みそをフル回転させて能書きをたれてばかり。アイデアは思いつくが実行力は乏しく、無駄に思索ばかりの時間で人生を食いつぶしてしまう。そうかといって、ファンタジーに逃げて万能感に浸っても仕方がないとは思うのだが…。
(2023/08/05)
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。