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Channel: 陽出る処の書紀
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生半ヲタクは話題だけ消費して真のファンにはなれっこないのだ

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過去に私は某国民的人気声優の紅白歌合戦出場だとか、音楽番組やらの放映を記事にしたことがありました。
いや、一秒前まですっかり忘れていたのですが。たまたま過去記事のアクセスデータにあがっていたので気づいてしまったというわけです。私はほとんど書いたそばから忘れるので、過去の発言をほとんど覚えていません。真逆のことを語っていたなんてことはしょっちゅうでしょうし。

さて。暇な時期によく書いていたオタクの話題。
なんとかが発売されるだの、ミュージカルになっただの、実写映画になるだの。自分が二次創作しているほどの熱中作のみならず、大人になって爆ハマりした作品や、お子様時代の懐かしアニメまで。

でも、最近、思うんですよね。
こうした記事、ほとんど読み返すことがありません。オタク関連記事に限ったことでもないけれども。いっときネットでニュースになっていたから拾ってきて。私見をまじえて記事ネタとして一本書いてみた。

けれども、そのミュージカルに出向くこともなく、イベントに出かけることもなく。映画といえば、たまたま地上波放映していたのをレビューしてみましたとか。原作漫画は買って読んだはいいが、だからといって、熱心にレビューをこまめに載せたりするわけじゃない。

フィギュアスケートの記事もそうで。
熱心なファンはスケートリンクに通いつめて、花束を投げ込んだりするらしい。でも、私はただテレビで暖まった部屋で眺めているだけ。選手が寒いリンクの上でどれだけの葛藤と血のにじむ努力があろうと、それを文字にして消費するだけです。それすらももうやらなくなりました。

では、私は本当にその作品のファンなのか?
消費行動に結びついていない応援というのは、タダの暇つぶしではないのか。動画視聴者が、その動画投稿者ユーチューバーがあちこち寄附したり、良いことを行っているから、彼の動画を見てあげることや、SNSではいいねを全押ししていくことが、なにがしか自分も社会貢献しているんじゃないか、と勘違いしてしまう(というか、そう思わないと、気が狂いそうになってしまう)のと同じで。

私はいま、書いてはいけないことをうっかり書いてしまったのかもしれません。
でも、これ、今となっては不思議なんです。なんで、消費もしない。その作品を味わうという責任感もない。なのに、なぜ話題として持ち上げるのか? 

クリエイターからしたら、ネット上で話題になろうが、実収益にはならないので、疲弊してしまうでしょう。
現在のSNS事情は、まさに広告費を極限まで安い手段にしたが、そのいっぽうで、マーケティング効果の当たり外れが大きいものにしてしまった、のかもしれません。

話題として大きくとりあげられることと、クリエイターが食べられることとは、しっかり結びつくとは限らない。そして、話題にするだけのカラ消費ばかりする人が多いせいで、反響はあるはずなのに、事実上の売上の数字にならない作品だってあったのでしょう。たとえば、ネット連載時は登録者多くに読まれたはずが、コミックとして販売した途端に予想を下回ったケースだとか。

話題にできるだけの時間がある人がヨイショしてくれるけれども、彼らがかならずお金を落とすとは限らない。実際のところ、その昔は、アニメや映画が無料動画としてワンクール分まるまる投稿されていた時代もあったわけで、漫画村の取締りがはじまるまえは、無法違法もよいところ。

こち亀などの公式が原作コミックの電子漫画数十冊分を期間限定無料公開、なんてのもあるけれど。
とてもじゃないけれど、読み切れる分量ではありません。休日が終わってしまいます。

けっきょく、あまりにもコンテンツが大量にあふれ。今日この時すらも新しい作品が世に生まれ出ていく時代では、きちんとお気に入りの作家だけに向き合って、真摯に買い支えていく。といったヲタクの本分を追求することがもはや不可能になるのではないでしょうか。

私はもう行きつけの大型書店のコミックコーナーの並びがどんどん変わってしまって。
自分が古くから知っているお気に入り作家の新刊が探しづらくなったので、通うのをやめ、通い忘れたら新刊日からかなり過ぎてしまっていた、なんてことが最近多くなりました。仕事や生活のことでめいっぱいで、娯楽に時間を割くことができない。新しいものを買いに出かけるのがおっくうになって、買い置きのコレクションを再読するかという状態になってしまいます。

これは、今年のお正月にNHK教育で放映されていた「不滅のあなたへ 2シーズン」を観たときに、決定的になりました。前シーズンは毎週楽しみにしてわくわくしていたのだけれども、もう、テレビを途中で消してしまって部屋の片づけをはじめてしまったのです。そうか、私はただの人気作にのっかりたいだけの、ただのミーハーだったのだ。この作品を本気で追いかけているファンの方に申し訳なかった、あれほどべた褒めな記事を書いたのに、その一発屋で終わってしまったのだ、と。

それと同時に。
頼んでもいないのに、全巻買い揃えて後生大事に保管して、ときおり開いては日記のネタにするような作品もあり。こうした気持ちの注ぎ方の違いはどこからくるのだろうと思ったら、おそらく、その作品と向き合っている時の、私の人生との接点にあるのではないか。要は作品の良し悪しとは無関係で、手元に置いてずっと鑑賞したくなるもののと、いっとき話題になってつまみ食いするが、日常食にはなれないもの。その違いがあるのかもしれません。


昔は鬼のようにレンタルして、地上波放映をはしごして、趣味にしていた映画鑑賞も。
もう再生プレイヤーを失ってからは、観ることもなく、興味もわかなくなりました。レビューした記事も、その中身をもう覚えていないぐらいです。仕事や生活回りの整頓を趣味にしてしまったら、娯楽はそんなにリソースを注ぎたくはないというのが本音なのです。もちろん、積年の、この人は!と思う作家さんのは別腹ですが。こんなに作品があふれているのだから、人生上、ひとつでものめりこめそうな作品に出会えたら、もう似たような作品ばかり追いかけて消費しなくてもいいな、というのか、のんびり生きたい中高年オタクの目指すべき今後の在り方です。年をとったら買い置きしすぎた本の在庫に打ちのめされそうになりますから。


何かを話題にして、ネット上で発言して、そうして泡を吐き続けないと、生きづらくて仕方がない。
そうした振舞いのために、ただ責任もって味わいもしないコンテンツを語りつづけていた私は、けっきょく空虚なレビュアーだったのでしょう。いくら数を多くさばいても、作品の本質を見抜けないばかりか、けっきょく自分の嗜好に合わせて抜き取っているだけで全体が見えていないということが、よくあったからです。クリエイターとしての成果が、労働者ではなくて、ただ生きながらの廃人に近い人にとっての暇つぶし、いいかえれば生命線になっているという事実は、創作を生業とする方にとっては恐ろしいことではないでしょうか。


( 2023/01/08)


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