本の書影は売上を左右するポイントなのでしょう。
昔の新潮文庫などの表紙、とくに川端康成やら三島由紀夫やら、文豪の小説はそれほどインパクトのない、着物の柄なのかと思うほど目に余り残らないようなデザインが多かったように見受けられます。そういった本は作家のネームバリューだけで手に取られるので、書影の力が本の読後感を左右することもないでしょう。
しかし、表紙の絵で売れ行きが違うと言われるものの代表格が漫画とライトノベルでしょう。
そこそこ人気ですと、中身を修正しないのに、表装だけ買えて売り出したりもしますよね。
ところで、最近は一般文芸の小説でもわりと、結構目立つ表紙があります。
若者受けのよさそうなイラストレーターに表紙を描かせている、といったような。本職の漫画家さんが装丁のイラストを使うこともあったりするようです。
しかし、いささか失礼ながら申し上げたい。
この手の、いかにもラノベっぽい、かっきりした人物イラストを用いた表紙の小説で、あまりいい読後感を得たことがないんですよね。表紙の絵はほんとうにきれいに描かれていて、読み始めは気分が高揚して期待しているのだけど、なぜかだんだん、味気なくなってくるんです。
なぜなんでしょう。
表紙の絵に爽やかな少年少女がいるのに、中身はその主人公がエログロなひどい目に遭っていくとか、裏切りの連続でやさぐれていくとか。力強い感じのヒロインなのに、物語上ではなんとなくアニメの美少女っぽい感じでいかにも男性が萌えそうな闘うヒロイン系になってしまったな、とか。複数の人物がいるはずなのに、その一人だけがビジュアル化されてしまっているせいで、その存在感が浮き上がってしまい、他のキャラの活躍が薄らいでしまっているとか。そういうことがよくあります。
そもそも、表紙をそうしたイラストにしている小説は、やはり読み物として軽い感じが否めない。文章の改行が多くてテンポはいいけれど、描写が浅くて、物語に奥行きがない、物足りない感じがするんです。キャラはどういう行動原理に基づいて動いてるの? それが見えなくて後から明かされるけど、別に大した信条でもないなといった。作者が書けない、足りない部分を戦略的に、イラストで補わせているんだな、と。絵がついていないと小説を好んで読んでくれないような読者層を呼び込むために、そうしているのだな、と。
実際、キャラクター人気に頼っていて、長期シリーズ化しているような文芸小説に、それが起こりやすいのです。
まあファンタジー系ならば致し方ないのかもしれませんけども。でも、上橋菜穂子のファンタジーには、キャラのイメージが固定化されるような表紙絵があっても、そういった落ち度は感じないのですよね。キャラをどう生かそうかに頭を使いすぎて、物語としては深みのある主題がない、といった小説にありがちなのかな、というのが私の勝手な感想です。対象年齢が自分にあっていないのだから致し方ないのですね。
(2021/09/13)
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。