知り合いのご婦人からこんな話を聞きました。
近くの交番から電話があって、振込詐欺などに気をつけてくださいとのこと。別段珍しくはない注意喚起なのですが、なぜこの時期に。じつは、今年になって、さる地元の金融機関が引っ越してきてATMもあるので、被害に遭わないためだそうです。なぜ、いまさらになって、ど田舎の金融機関を新しくせねばならないのか。
銀行の再編だとか、合併だとか、ATMの統廃合もよく聞く話です。
ビジネス街の多い県庁近くの国道沿いにあった地元大手の銀行の支店も閉鎖してしまい、会社の経理さんなども通うのが大変そうです。もちろん、いまはネットバンキングで資金管理している企業が多いのですが、取引先によっては、いまだATMや銀行窓口から手動で振込されるお客様もいるわけでして。
すでに経済大国としては世界第二位の地位を中国に明け渡してしまった日本ですが。
その中国では、もはや現金決済が珍しいと言われています。訪日外国人の増加で飲食店やホテルなどはキャッシュレス決済を迫られているようですね。
レジ締め業務を行ったことがある方からは、キャッシュレス社会は大歓迎だとか。
私も勤め先で小口現金管理を任されていたことがありましたが、1円でも揃っていないと帰れなくて困るんですよね。自分が疑われるし、誰かを疑わなければならなくもなります。50円と100円硬貨は束ねてあると間違いやすいですし。
しかし、だからといって、このまま国内でキャッシュレスが進むのには懸念があります。
現金が見えないので、お金の管理にルーズになること。1枚の硬貨のありがたみがなくなること。何よりも、そもそも貨幣というのは、その貨幣価値を信じる「誰とでも」交換できる強みがあります。そこが電子的な数値に置き換えられて、それを信用できるのかどうか。
たとえば、自分が病気なので友だちに買い物をお願いするとします。
当然ですが、先に買い物分のお金を渡しておいた方がいいですね。後払いにしてといって、ものだけ受け取って忘れて知らんぷりしたら、信用をなくすでしょう。もし、キャッシュレス社会になったら、どうなるんでしょう。まさか、自分のスマホをまるごと貸すわけにもいかず。そのスマホが充電切れだったり、壊れたりしたら、買い物できません。ひとつで何もかもできるということは、そのひとつが失われたら、何もできなくなります。そもそも、現金がなければ、お子様にはじめてのおつかいというミッション与えて、お金の使い道を教えることもできなくなりませんか。そもそも、旦那さんやお子さんへのお小遣いはどうなるのでしょうか。
若手の経済学者が、現金は人の手を介しているので汚い、早くキャッシュレスになったほうがいい、と説いています。なるほど、お金は穢れの象徴です。ある歴史学者によれば、天皇が紙幣の顔に選ばれないのは、天皇の神格化を濁してしまうからだそうです。しかし、人手に渡るからこその現金の良さもあるのではないでしょうか。紙幣や硬貨をきれいに使っている人を見ると、安心します。お金の大切さを理解していると思うので。
昨年の今頃だったか、仮想通貨もかなり騒がれていたはずですが、流出騒ぎがあってからか下火に。政府が海外と足並み揃えて音頭をとって、キャッシュレスを進めようとしても、すぐには浸透しないでしょう。電気自動車にしても、太陽光発電にしてもそうですね。けっきょく導入するときに多大なコストがかかるのでめんどくさくなります。
ちなみに、私がいちばん懸念するのは。
キャッシュレスを推し進めることによって、ほんらいは存在しないお金が現れたり、逆に不意に消えたりしやしないかということですね。たとえば、日本の累積赤字、たとえば日本の積み立てられたはずの年金。国内で流通する形式にしておかないと、日本のマネーは海外に逃げてしまいます。ある金融機関でも、従業員の入力ミスなのか、通帳の残高の桁間違いで問い合わせが殺到した一件がありました。
千円札、あるいは、万札一枚だけで買える分量がこれだけになったという可視化があったほうが、庶民にとっては経済が分かりやすい。銀行強盗で襲われることもなく、火事になったら重い金庫や貯金箱を持ち出す苦労もないだろうが、しかし、海外からハッキングされて日本の税金が流れてしまったり、あるいは、どっかの反社会的勢力からお金を振り込まれて信用を失う、といった杞憂が現実になったりしないだろうかということです。こんなことをいまだに考えるから、経済音痴なのかもしれませんが。