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Channel: 陽出る処の書紀
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「親友」よりも「真友」が、いいね!

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今野緒雪さんの大人気ライトノベル『マリア様がみてる』で、こんな名言があります──「友だちなんて迷惑をかけあうものじゃない?」。 私はこの作品が好きですが、しかし、この言葉には半分だけしか同意していません。この小説は、青少年のみならず、当時30代だったいい大人たち(なぜか男性陣にも…)にも受けていました。なぜ、女子高生たちの純粋な友情が共感を呼ぶのでしょうね…。

『ワンピース』や『ドラゴンボール』をはじめとした努力、勝利、友情がコンセプトらしい少年漫画も、女の子たちに人気の『美少女戦士セーラームーン』もそうですが、そもそも友だち幻想を見させるアニメですよね。友だちの少なかった子ども時代の私も、ずいぶん、お世話になりました。あんな友だちがいたら、と子供ながらに思っていましたし、そういう仲間の一員になりたいと願っていました。いまから考えたら、危ないですね。アニメは社会のはみ出し者がつくったものです。あれを制作した方々も、自分の人間関係に悩んでいたのでしょう。でも、最近のアニメって、友だちの描き方がちょっといびつだなと思わないでもありませんが…。

友だちって、そんなに欲しいですか?
むしろ、煩わしいのなら、一人でいてもいいじゃないですか?

私にはかつて「親友」と呼ぶべき存在が、大学時代にいました。
一人は同郷の幼馴染A。そして、もうひとりは同じ大学同期のB。どちらもいま疎遠ですから、当時だけの友だちです。

少し嫌な話をしますね。
Aは美人だけれど見栄っ張りな性格でした。Aの知人の白人男性(自称:水墨画アーティスト)と食事をしたとき。Aはさんざん彼の作品を褒めちぎったあとで別れ、後で三人分を奢った食事代を私(私は自分の分は払おうとしたのですが、Aに阻止された)に請求してきました。またのちに、Aは私の家族が過労死したこと、私が美術の研究職に就かなかったことをあざ笑いました。私は鈍いので、Aの小悪魔性に気づかなかったのですが、いまから思えば、私のセンター試験前日にわざと会いにきたこともありましたし、私が制作した文化祭のパンフレットを目の前で粗雑に扱っていました。遊びに行く約束の日、私が原付で転んでもこっちに来てほしいと呼びつけました。Aが卑屈になったのは、エリート親の受験プレッシャーに耐えられず二流校の推薦に逃げ、志望校であった地元の進学校や国立大学に、(自分よりも貧乏な家に生まれた格下の)私が合格してしまったからだったのでしょう。Aは大企業回りの就活を失敗し、留学に逃げ、共同で同人誌を出したいと持ち掛け、そして楽をしたいからいつか独立起業するのだと夢を語っていました。コミックアーティストを自称するAは、いまも派遣ウェブデザイナーのままです。私がAに対して今でも死ぬほど腹が立っているのは、自分の家族を冒とくされたことですね。

かたや大学同期のBは、母子家庭育ちですが、自他ともに厳しい性格の持主でした。
芯がしっかりしているので、年下なのに、頭の堅い私の方がBの姿勢に学ぶことが多かったですね。絵の才能があったにもかかわらず、Bは就職氷河期にもきちんと新卒で就職し、その後、IT企業を立ち上げています。経営がやや傾くと、開発した技術を同業他社に高く買ってもらい、正社員としてマネジャー職をしています。今から思えば、学生時代から彼女は人の上に立つ片鱗がありました。このBと、ある展覧会に出かけたときに評価をめぐって喧嘩してしまったことがありました。今でもそうですが、私に柔軟性がなかったのでしょう。彼女にお願いして、当時勤めていた図書館の案内板を制作してもらったことがあり、それはいまでもそこに存在しています。私の口利きで彼女の油彩画も、その図書館に寄贈されました。

『「原因」と「結果」の法則』という自己啓発の有名な本があります。
そのなかで、「あなたの周囲は、あなたを映し出す鏡」という言葉があります。学校が変われば付き合う人も変わり、考えも変わりますよね。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』が教えるように、エリートの子が集められた学校、高偏差値の大学に行けば人生が充実するとは思いません。が、高校や大学などで出逢った恩師や当時の友人と過ごした時間は、たしかに自分にとっては貴重なものでした。あの高校だからこそ、あの大学出身だからこそ、信用して会ってもらえた方もいました。もし受験で手を抜いて、Aと同じ高校に通っていたら、今の自分はありえません。そして、Aが歪んだように見えたのは、彼女の劣等感を掻き立ててしまっていた私にも驕慢さがあったのでしょう。Aを悪友にしたのは、他ならぬ私自身だったのです。

私はBを褒め、Aをけなすことで自尊心を満たそうとしている自分のずるさに気づいています。そして、自分の気に喰わない人物と折り合うことの難しさを今も実感しています。それは高度な資格を取得するよりも、より骨の折れることなのです。

中学時代の女性の体育教師がこんなことをおっしゃっていました。
「友だちは選ぶのでなく、選ばれるのだ。いい友だちをつくれるように、自分がいい人間になりなさい」と。友だちではなく、配偶者も、子どもも、同僚や上司も、すべてに言えることですよね、きっと。自分が気持ちを入れ替えないと、悪縁ばかり寄ってくるのです。

何とはなしに、友だちについて考えてしまいたくなったのは、2017年11月15日の読売新聞人生案内からです。50代主婦が前職から親交のある友人との関係に悩む相談。回答者の山田昌弘先生は明確にこう答えます──「不公平感が生じてきた時は、友人関係を棚卸する時期です。はっきりものが言えないあなたは、相手を変えようとしては駄目。嫌味は受け流して、徐々に遠ざかっていきましょう」。 友人をメリット、デメリットで考えようというこのご助言、何ともドライな…と思いたくなりますが、他人に振り回されるくらいなら独りでいたほうがいいのです。30歳以降になると生活格差が出てきます。中年以降になると、同性の友だちが煩わしいと感じる人は多いようです。

私の個人的な体験から語れば。
ほんとうの友だちは、あなたが間違ったことをしたときに親身になって止めようとしてくれる、困ったときに厳しいけれど実になる助言をくれる人のことです。その人に言われても苦にならないという人は、いわばメンターで、あなたのお手本になってくれる人です。でも、アニメの主人公みたいに、身を賭して守ってくれたりはしませんし、お金に困ったら気前よく大金を恵んでくれたりはしません。まともな友人はそんなことをすれば、相手が駄目になるのを知っていますから。そこまで他人に期待するあなたは、いくらいい職業についていても、精神が幼稚で自立できない大人です。

悪い友だちは、あなたが落ちぶれていくのを薄笑いして眺めているか、お前にはそれが相応しいと見下して怠惰な方向へ勧めようとします。堕落した趣味に引きずり込もうとし、他人を支配しようとします。自分にくれるモノの大きさや高さ、知り合いの豪華さや、上辺だけの褒め言葉を寄越す人は、いつか、あなたを欺きます。あなたが何もかも捨ててどん底にいるときの言動で、その人が必要な人かどうかわかります。残ってくれた数少ない人だけを後生大事にしてくださいね。

もちろん会話の潤滑油として、相手を認めることは必要です。
自分の応援者が多いにこしたことはありません。しかし、相手の顔や声のトーン、振る舞いをじっと観察してみて下さいね。心がこもっているか、いないか、そこに書いてありますから。自分を甘やかしてくれる人ばかりがいるSNSに浸っていると、人間の機微を捉える感覚が鈍くなってしまいます。自分の人生は自分で決めるものです。悪い影響をもたらす友だちからは、一刻も早く逃げて下さいね。

最後に、心あたたまる定義を紹介しておきます。
「ソウルメイトや本当の友達とは、あなたが探し求めている美しさや愛がすべて本来の自分の中にあるのだということに気づかせてくれる存在なのです」(『愛する』 ティム・ナット・ハン著・河出書房新社・2017年)





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