お疲れ様です。
本日は休日ですので、すこし妄想から入りましょう。
いつもの趣味語りですが、皆さまのお役に立つ話であれば幸いです。
アニメ「神無月の巫女」では、幼馴染で初恋の少女を命懸けで守る少年・大神ソウマの見せ場というべき場面がいくつか存在します。そのひとつ、第十一話。千歌音にどうしても会って話がしたいという姫子の願いを叶えるため、彼はロボット戦を引き受ける。時間稼ぎの捨て石。いわば、戦場で殿(しんがり)を務めるようなもの。ひじょうに損な役回りです。彼はほんらい敵方のオロチ衆のメンバーだったため、陽の巫女である来栖川姫子に加担すると呪いで身体がむしばまれてしまう。けれど、大神少年は姫子の背中を押すのです。
このアニメは、おそらく、まっとうな男性諸兄がご覧になったら気分が悪いんじゃないかと思います。だって、一生懸命に好きな女の子を守ったのに、彼の想いはまったく報われない。失礼な言い方ですが、女にいいように使われて捨てられた哀れな男、という印象を与えます。これが性別逆だったら、たぶん女性陣からものすごいパッシング浴びそうですけど(笑)。 その反動が、今年アニメ放映十周年をめでたく迎えた「京四郎と永遠の空」かと思いますと、面白いのですが。
しかし、彼のようなまっすぐな生き方は、ほんらい、子どもや若者に夢を与えてしかるべきものでした。恋愛の勝ち負けだけ、愛情を得たか否か、カップル成立になったか、にこだわると、彼はどうしても負け犬、咬ませ犬に見えてしまいます。しかし、この制作者たちが彼の行動を通して語りたかったのは、そんなものではなかったはずです。男よりも女のほうが優位に立っている世の中を賞賛しているわけではないんです。このことについて、数年間書きたい、あのアニメ作品は百合だけではない、なぜこの作品にロボットが登場するのか、その理由は…と主張したかったのですが、なかなか時間がとれずにいました。(神無月の巫女 2014→2004)
先日、あるひとと話していると、ふしぎなことがありました。
その方いわく、あなたはご先祖様や荒神様を大切に扱っていない。自分の生まれてきた先に繋がる昔に感謝をしないと、今を生きる者は報われない。神やご先祖様を喜ばせ、味方につければ、あなたの人生の背中を押してくれる、とのこと。ちなみに、このひとは、うさんくさい霊媒師ではありません。
たしかに、ここ数年、悪いこと続きでした。
努力が空回りしたり、心身のバランスを崩したり。期待していたことが水の泡になったこともあります。熱心に尽くしたのに、結果が伴っていない。ブログでもずいぶん恨みがましいことを書いていますが、精神状態が悪いとどうしてもいじわるな記事になりますよね。
私は霊感が強い方ではありませんし、神社仏閣は好きですが、神仏を熱心に信仰してはいません。どんなに祈っても、家族の命が救われなかったこともあります。ですから、いつしか、投げやりの気分になって、形だけ手を合わせていたのでしょう。先の相談者の助言にしたがい、お墓参りや荒神のお祀りをしたせいなのかどうか分かりませんが、先日、とてもいい効果がありました。
これまで資格取得や業務上苦心して得た部分が評価されたのかわかりませんが、このたび、願ってもないチャンスをいただきました。特にこの二、三年は苦しくて、倫理観の高い仕事であるべきなのに違法なやり口も何度も目にしていて、あまりの理不尽さに挫けそうになりました。が、めげずに挑戦して良かったなと思います。
人間というのは現金なもので、ものごとがうまく行っていると、周囲に感謝したりしだすもの。しかし、不運続きの時の過ごし方がむしろ大事なのだと、どこかの本に書かれていたような気がします。「私はこんなに努力してきたのに、なぜ報われないのだろう」と、ずっとそればかり悶々と思い続けていました。悪いことばかり続くと、周囲に八つ当たりしたくなり、ますます、応援してくれる人が逃げてしまいます。自分に全く落ち度がない被害にもかかわらず、それを訴えたところで、逆にこちらが加害者のように言い立てられることもあります。おそらくは、私のものの言い方が悪かったのでしょう。これは身に沁みて感じた痛い現実です。
冒頭に紹介したアニメの主人公は、初恋の少女の恋敵を増援したことを、のちに兄になじられます。その兄もまた弟のために人生を棒に振った。兄さんだって、そうしてくれたじゃないか、と笑って答える。ただ、それだけの弟の話です。大神ソウマ少年は、初恋の彼女と結ばれることはかないませんでしたが、間違った悪意にとらわれた兄の善意を取り戻すことに成功したのです。彼の最後におこなった攻撃は、地球を救い、そしておなじ敵方の仲間たちを良い人間へと転生させます。ヒロイン二人ばかりがちやほやされますが、彼こそはまさにアンサングヒーローと言えるのです。
自分が影になって陽の当たるひとを支える。
それは、実に素晴らしい生き方ではないでしょうか。メディアでもてはやされているひとの裏には、彼らを支える多くの人がいるはずです。誰かの人生に光りを与えることのできる人は、きっと多くの人から光りを受け取っていたはずです。うす暗く冷たい日陰に入った時こそ、陽の温かさに気づく。それを気づかせるために、疲れたあなたに一時的に休めと命じるために、悪いことが起こっているときもありえます。そんなときに、自分を大切にして、嵐が過ぎ去るのをじっと耐えて待つことです。
人生は何かを得て、何かを失うことの連続です。
自分よりも先に生きて、走り去ってしまった人の、目に見えないメッセージを、われわれは知らずに受け取っているのかもしれません。心身がすぐれないときや、人間関係で軋轢を覚えたときは、自分がおかしくなっていると感じる、またとない合図。自分のものの見方や感じ方を振り返る時期にきているといえるでしょう。
よく言われる言葉ですが「他人は変えられないが、自分は変えられる」
自分を見直して変わろうとすれば、あなたの背中を押してくれるひとはいつか現れるかもしれません。それを実感した十一月の吉日でした。
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