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Channel: 陽出る処の書紀
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先生のココロはもうすでに死んでいる

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日本を代表する国民的作家である夏目漱石は、英語教師でもあったことから、教育者のでてくる小説をよく書いています。『吾輩は猫である』はだらしない美学者を描いていますし、『坊ちゃん』は反骨精神のある新米教師が教頭たちと対決し、現代のライトノベルのような面白さがあるにはある。

そして、『こころ』は文豪の後期の代表作ですが、ある青年が私淑した先生の自死を扱っている。青年が高潔な人格者と信じて疑わなかった先生は、自分の胸の内を明かすたったひとりの後継者として彼を選び、手紙を託し、死んでしまう。『こころ』は何度読み直しても、私には度し難いお話です。青年が拝受したかったのは、生きるための知恵であり、高邁な理想であったはずなのに、師は自分の不道徳(親友の想い人を奪って死なせてしまったこと)を告白して、弟子から永遠に遠ざかってしまうのです。明治の精神に殉ずる、というかたちで。古い美徳のために先人が死んでしまったのだとしたら、残された者は何をよすがに生き抜いていけばいいのでしょうか。もう、自分で学び取るしかないのです。

「先生」と呼ばれる人間は、耐えられないんですよね。子どもの眩しく見上げる視線に。おとな社会の、ここが変だな、と思う疑問を口にしても封じられる。それを繰り返された子供は、大人を信用しなくなります。成長することをやめてしまう。そんなかつての子どもが大人になって社会の復讐のために、都合のいい子どもを再生産しようとして、加計学園や森友学園みたいに補助金詐欺で私立学校をつくったり、支配者としての教師になってしまう。

今の教育現場は、とにかく先生が多忙。
文科省からは脱ゆとり教育で指導量が増える、さらに語学教育だの、プログラミングだの、高度なITへの対応や、保護者を顧客のようにみなしたサービス精神は求められる。日本の学校教師は世界一の長時間労働。先生は身も心も疲れている。

くわえて、最近では財務省の圧力で教員予算を削減せんがために、正規教員の働き口が少ない。ですから、クラス担任ですら常勤講師に頼る。教員採用試験に新卒で受からねば、待遇の悪い非常勤のまま飼い殺しにされてしまう人もいます。教育大学などで教員採用率8割だのを謳っているけれど、そこの大学職員に聞くと大半が非正規教員だそうで。大学や予備校・塾の非常勤講師もそうですが、教え子のほうがいい職場に勤めて結婚して幸せそうだったりする、シャレにならない。才能があるけど生意気な学生でグループから孤立していると、潰そうとする陰湿な先生だっています。

教育者に対する目線は厳しいですね。
学校教師のみならず、教育サービス業も含め、モラルの低い人間がいたりする。長年教師をされた方が、性犯罪を起こしたり、飲酒運転しかけたり、個人情報を蔑ろにするような言動や、職業差別をしたりする。失礼なのですが、いつもお子様相手なので、自分の若さを勘違いしたり、横暴にふるまったりするんですね。ビジネススキルも低い。一般の民間企業に勤める者からすると、常識に欠けるきらいがあります。

福井県のある中学校男子生徒が飛び降りした事件で、副担任のいじめに近い言動が明らかになっています。この副担任は、30代女性で臨時教員。「先生」と呼ばれる職業の倫理観について不信がある人は多いことでしょう。複数の生徒や他の教師までが、この副担任のパワハラを問題視していたにもかかわらず解決されず、保護者の訴えもむなしく、生徒は死地へと旅立ってしまいました。この非正規教員によって、現在も不登校のままの生徒もいるらしい。作家デビューするために、非常勤の国語の先生として食いつなぐ人も多いですよね。きれいな文章は書けるけれど、気位が高くて、人間は育てられない残念な人なんでしょうね。

教師は、親以外の、子どもにとっては影響力のある大人です。
人生に良くも悪くも作用する。最近は、クラス運営をよくするために、スクールカーストの頂点のグループにおもねって、いじめられっ子を守ろうとしない悪質な教師もいます。会社でもそうですけど、多数決の原理で声をあげられない人が追い詰められてしまう。

ひとが死を選んでしまうのは、自分を粗末にしてしまうから。自分の能力を信じられなくなり、無気力や恐れにとらわれてしまうんです。暴力が他者に向かうか、自分に向かうか。おとなが護ってくれなかったら、ネットに逃げるか、自分を潰すしかないとまで考えてしまう。いのちを大切に、なんて語っても、その声は届かない。

ほとんどの教師は、大学や指導書で学んだ杓子定規な教育法しか知らない。
孔子のように、ある者は諫めるように、ある者はおだてるように、ひとに合わせて教育できないんです。先生と呼ばれたがる人は、他人の人生に価値判断をつけたがる。一流と呼ばれるどんな教師でも、その人間によって不本意に落ちこぼれにされた生徒がかならずいます。私の人生を救ってくれた先生は出世欲がない方でしたが、思春期に忘れられない瑕を残してくれた教師は、私の親の職業を馬鹿にしていて、のうのうと校長まで上り詰め、地元でいい教師だと慕われている。偽りの先生は、自分の価値を高めるために、優秀で聞き分けのいい弟子ばかりを側に置くんです。そして、自分の指導力をアピールする。自分をヨイショしてくれる人を置きたがっている芸能人と似ていますね。

生徒を死なせてしまう先生は、すでに自分のこころが死んでいるのかもしれませんね。
教育者への過剰な期待と反発、情熱ややりがいを搾取するだけの過重労働。教育しても、本人の気づきと自覚がなければ、行動は変わらない。多くの先生は、教育者という美名に酔いながら、事実、とても絶望しているんです。こんな子どもたちじゃ、未来は危ない、と。でも、他ならぬ自分たちも、「こんな子どもたち」をつくる手助けをしていることに気づかない。

子どもの学力とか、道徳心とか、の問題を、もう、学校だの、家庭の責任だのの、狭い世界に閉じ込めておくのはもうやめませんか。いま、子どもを持たない人が多いから、大人にとって、子どもは小さな異国人でしかないんです。子どもに夢を見ているほど、子どもの現実に勝手に失望する。中年が美少年や幼女に癒される漫画などが流行ったりしますけど、冷静に考えたら気持ち悪いですよね。(自分も「リリカルなのは」とか観てましたから、大概だと自覚してますけど(笑))アニメのような万能な小中学生キャラが実在すると勘違いしている。迷子を送っていったら、通報されてしまったりするので、声すら掛けられない。小学生がウイルスつくれたり、中学生がネット詐欺をしたりする。学校の先生は、自分の手柄のために教材開発や稚拙な論文発表に熱心だけれども、子どもの思いに向き合えていない。そして、子どもは徒党を組んで、「良識ある大人になんかなってやらないぞ」と反発しだす。

かつて学校や教師を否定した人間から言わせていただくと、パワハラやいじめに加担するような教師や学校内の人間関係からは、逃げても構わないんです。不安から先生に依存しがちですけど、先生だって弱い生き物です。尊敬するに値しないなら、離れればいい。高校を中退して大検を受け、東大に進学し、そして大学教授になった人だっています。商業高校卒業だけど、勉強をし続けて、外交官になった人もいます。あなたの人生のモデルになる人は、世の中にたくさんいます。

学校現場には、もう少し多様な人材を配してほしいですね。
よくサービス業で磨いた接客スキルが教師には必要と言う人がいるけれど、先生に必要なコミュニケーション能力は、ぺらぺら芸人のように面白いことをいうだけではないはずです。口先でいいことを言うけれども、行動には現れない人はたくさんいますし。俺の言うことは正しいから素直に従っていろ、というのは愚かな教師の言うことですね。

美徳や価値観は、世の中の動きでころりと変わってしまいます。
けれど、覚えておいてほしいのです。学校は絶対の正解を教えてくれる場所ではありません。どうやったら、最適解にたどり着くかの方法──自分で学ぶことの大事さを唱えているだけです。

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