本日は所用ありまして南部にお出かけしました。
ひじょうに意義深いお話が聞けて、たいへん,参考になりました。景色は田園地帯、翠もえたつ山路、こころが洗われるようです。
さて、その帰り道ですが、時間がありまして、気力も残っていたので、特産市場に立ち寄りました。価格としてはスーパーの農産物と変わらないか、それ以上だったりもしますが、お手頃なものを購入してみました。この特産市場のよいところは、ふつうのスーパーとは異なって、商品を陳列している、というよりも,展示しているという間隔に近いわけです。派手な値段のシールなどで目を引くこともありません。その商品本体の良さを生身で感じることができます。おそらく、これは、近代以前までの市場に往々にして見られる風景だったのではないでしょうか。ラベルには生産者の名前が明記されています。大量生産時代の農工物は作り手の顔を見えなくしてしまい、そして、価格破壊によって、生産者の自負を奪ってしまったといえます。誰にも負けない自作物だと言えるほどのものを、責任があり誇れるだけの仕事を、どれだけの人がしているのか。
その特産市場には、園芸コーナーもありまして、ホームセンターに売られているものよりも良質のものが並んでおり、鉢植えを二体購入しました(購入したのは私ではなく、家族ですが)。
興味を引かれたのは、園芸コーナーの一角にある、フラスコに入っためだかの群れ。生育に詳しい方にうかがうと、めだかは空気に触れる面積の大きい水槽やバケツで飼う、水道水を数日日に当ててカルキ抜きをした水をつかう、温水には強いが直射日光には弱い、などなど、なかなか飼うにはデリケートな生きものらしく。その説明を聞いただけで断念してしまいました。小さいので扱いやすいイメージがあったのですけどね、意外に侮れないもの。でも、私が関心したのは、めだか自体の性質ではなく、それを育成している方のお話を直接うかがうことができたことです。作り手の素顔が見えると、やはり、手にとってしまいたくなる。ガラスのむこうからこちらを覗いている、くっきりした眼のその魚には、自分の人生の傍に置いておいてもいい、と決断させるだけの魅惑がある。それは育ての主に可愛がられてきたからだと思うのです。
物産市のよいところは、売り子が猛烈なセールスをしないこと。
お客さんに対し、商品について正直な説明対応ができること。いい商品をつくっていれば、高い技術を持っていれば、何でもかんでも売れるという時代は終わったといっていいでしょう。気持ちの良い買い物をした、心地いいサービスを受けた、という体験を売るということが肝心かなめ。売りつけたら、そこでおしまい、というてのひら返しの対応をしていると、いつか客足は遠のいていきますね。こうした買い手にとっても、売り手にとっても満足感が得られる、のんびりとした商取引が、効率性ばかり重視した大資本のマーケットによって、駆逐されていかないことを祈るばかりです。
ひじょうに意義深いお話が聞けて、たいへん,参考になりました。景色は田園地帯、翠もえたつ山路、こころが洗われるようです。
さて、その帰り道ですが、時間がありまして、気力も残っていたので、特産市場に立ち寄りました。価格としてはスーパーの農産物と変わらないか、それ以上だったりもしますが、お手頃なものを購入してみました。この特産市場のよいところは、ふつうのスーパーとは異なって、商品を陳列している、というよりも,展示しているという間隔に近いわけです。派手な値段のシールなどで目を引くこともありません。その商品本体の良さを生身で感じることができます。おそらく、これは、近代以前までの市場に往々にして見られる風景だったのではないでしょうか。ラベルには生産者の名前が明記されています。大量生産時代の農工物は作り手の顔を見えなくしてしまい、そして、価格破壊によって、生産者の自負を奪ってしまったといえます。誰にも負けない自作物だと言えるほどのものを、責任があり誇れるだけの仕事を、どれだけの人がしているのか。
その特産市場には、園芸コーナーもありまして、ホームセンターに売られているものよりも良質のものが並んでおり、鉢植えを二体購入しました(購入したのは私ではなく、家族ですが)。
興味を引かれたのは、園芸コーナーの一角にある、フラスコに入っためだかの群れ。生育に詳しい方にうかがうと、めだかは空気に触れる面積の大きい水槽やバケツで飼う、水道水を数日日に当ててカルキ抜きをした水をつかう、温水には強いが直射日光には弱い、などなど、なかなか飼うにはデリケートな生きものらしく。その説明を聞いただけで断念してしまいました。小さいので扱いやすいイメージがあったのですけどね、意外に侮れないもの。でも、私が関心したのは、めだか自体の性質ではなく、それを育成している方のお話を直接うかがうことができたことです。作り手の素顔が見えると、やはり、手にとってしまいたくなる。ガラスのむこうからこちらを覗いている、くっきりした眼のその魚には、自分の人生の傍に置いておいてもいい、と決断させるだけの魅惑がある。それは育ての主に可愛がられてきたからだと思うのです。
物産市のよいところは、売り子が猛烈なセールスをしないこと。
お客さんに対し、商品について正直な説明対応ができること。いい商品をつくっていれば、高い技術を持っていれば、何でもかんでも売れるという時代は終わったといっていいでしょう。気持ちの良い買い物をした、心地いいサービスを受けた、という体験を売るということが肝心かなめ。売りつけたら、そこでおしまい、というてのひら返しの対応をしていると、いつか客足は遠のいていきますね。こうした買い手にとっても、売り手にとっても満足感が得られる、のんびりとした商取引が、効率性ばかり重視した大資本のマーケットによって、駆逐されていかないことを祈るばかりです。