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Channel: 陽出る処の書紀
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神無月の巫女精察─かそけきロボット、愛に準ずべし─(十四)

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そしてまた、第十一回に述べたように、千歌音がソウマから奪ったふたつものが同義である、という言説がここに帰結を見ることになります。
薔薇の髪留めとロボット。ソウマがなぜ、女性性を象徴するようなものを贈ったのかが、いま明らかになるでしょう。ソウマが姫子に贈る愛情が、千歌音を茨の鎖のように縛り上げ、ソウマが姫子を守る強靭さが、千歌音のこころを踏みにじろうとする。ソウマがオロチに拳を振り上げることそれ自体が、遠回しに千歌音のこころを殴りつけていることになっている。髪留めもロボットも千歌音の懐に入って、側に従えて、彼女自身の感情の象徴になっていくのです。髪留めという少女の掌に乗せるほど極小化された傷つきやすい魂を姫子が受け取ったとき、姫子が千歌音の細かな罪をなじることもなく、千歌音を受け入れたのは、まさに奇跡に近い。しかし、奇跡は起こってしまったのです。髪留めは姫子のトラウマを解消し、さらには姫子に理解を開かせる、二重の喜ばしい効果をもたらしています。この薔薇の髪留めには、二枚貝や贈呈されたペンダント以上に神的な効能を感じざるをえない。

それは、古代ロマンチシズムに照らせば、ひじょうに意味深長なトリックであると言えるでしょう。髪留めは、巫女にはなじみぶかいアイテム。古来の別れの儀式に髪に挿したという櫛(苦と死に通ずる)の現代的なメタファーであるのです。クシナダヒメを櫛に変えてヤマタノオロチから守ったスサノオさながらに、髪留めはオロチと勇猛果敢に戦い、守り抜く、愛し抜くというヒーロー・大神ソウマの贈り物として登場するべきだった。しかし、それは、ロボットがそうであったように、千歌音にとってはふたりを分つ鋏のごときものでもある。ふたつの刃が合わさることで一体となっている髪留めは、二枚貝になれない千歌音にとっては、苦しみの表徴でしかないのです。

このロボットと髪留めとが並び立つことによって、対立事項であったとされる、「ロボットアクション」と「古代神話ファンタジー」とが結びつくのです。千歌音が手渡したはずのその髪留めが、次にはもはやどこへともなく消えているのは、千歌音の懊悩がすげなくも昇華した証と見ていいのでしょうね。ロボットを得たことによって姫宮千歌音の苦痛は最高潮に達し、そして髪留めを送り返したことによって彼女は懊悩から開放される。まさにED曲で夢見たような、OP曲で謳われたような、「涙すら見せない、ただ抱き合える瞬間」が訪れるのです。

「神無月の巫女」は、アカデミー賞主演女優賞ものの名演技をみせる姫宮千歌音の独壇場ともいえますが、姫子に対する千歌音の深い愛をきわだたせるために、じつに諸要素が上手く絡み合っており、ロボットは他の小道具とおなじく、いや、それ以上に物語の輪を滑らせる上ではとても重要な役目を果たしているのです。にしても、このアニメがロボットアニメとしては独自の境地にあると言えるのは、まさに大神ソウマが最終話に放つ、あの名台詞なのかもしれませんね。「俺にできることはせいぜい地球を救うことぐらいだけど」──かつて、かっこいいヒーローに、こんな台詞を大胆に吐かせたロボットアニメが他にあったのでしょうか。いや、あるまい。

世界を救うことよりも、女の子ふたりの愛情のもつれを表現せしめるため、ただそれだけのために巨大ロボットを惜しみなく投入するなんて、ふつうじゃできないことかもしれません。ロボットアニメとしてのもの足りなさにこそ、本作の真骨頂がある。「神無月の巫女」がロボットアニメとして異色作と呼ばれるゆえんは、まさにそこにあるのです。なお、この作品の時代設定は私服などを見てわかるように、やや古めかしくなっていますが、それはおそらく、あえて流行に左右されない、息の長く人に愛される物語づくりをめざしたせいであろうか、と思われます。

【了】



神無月の巫女精察─かそけきロボット、愛に準ずべし─(目次)
アニメ「神無月の巫女」を、百合作品ではなく、あくまでロボット作品として考察してみよう、という企画。お蔵入りになった記事の在庫一掃セールです。

【アニメ「神無月の巫女」レヴュー一覧】

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