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残忍非道な加害者の人権を守るな!

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本日付朝日新聞「報道と人権委員会」。
元少年Aの『絶歌』を巡り、早大教授が加害者も匿名で表現する自由があると発言。その根拠に、ノンフィクション「逆転」事件の最高裁判決で、当時未成年だった強姦殺人犯を実名公表した本がプライバシー侵害と判断したことを挙げた。これは明らかに誤解を招く指摘である。

「逆転」事件判決は、「みだりに前科を公表されない」としたものの、前科に関わる事実公表が「歴史的社会的意義があり」、前科者の「社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として」であれば違法とならないとしている。また実名公表の不法行為性は、「その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべき」もので、事実の公表よりも、前科を公表されない法的利益が優越する場合による、としている。

なぜ、この「逆転」事件判決の趣旨を元にして、この教授が「加害者も匿名で表現する自由がある」という持論の根拠にしたのか、私には分からない。
そもそも、「逆転」というノンフィクションは、「事件の当事者ではない」作家が、沖縄米兵傷害致死事件の被告人に同情し、「被告人の無罪を信じて、名誉回復のために」執筆したもの。服役後、就職結婚し平凡な生活を送っていた当人が、ドラマ化にあたって放送局に実名放送での仮処分を申請、認められた。さらに、後年、この前科者がプライバシー侵害と精神的苦痛を訴えて民事訴訟を提起したのが、この「逆転」事件判決である。なお、現在の『逆転』では仮名表記になっている。

「逆転」事件判決では、作家の表現の自由と、表現物の素材にされた人物との法的利益とが対立している。その作家の表現目的にしても、米軍統治下の沖縄人に対する不当な裁判の不当性を訴えたいという社会的使命があった。ところが『絶歌』の場合、書く者の表現の自由と、書かれた者の法的保護に値する利益は対立しない。なぜならば、前科者自身がみずから過去の前科を公表したのであるから。

そしてまた、元少年Aは、この表現の自由の実現によって、大きな利益を得た。その一方で、息子さん娘さんを惨殺されたご遺族はいたく感情を傷付けられた。元少年Aが過去の犯罪を自慰的に美文で装飾し、出版して印税をうけとるという利益は、家族を殺され、いまだに癒えない遺族の精神的苦痛を無視してまで、保護されるべきだろうか。そんなはずがない。

神戸のあの事件はあまりにも社会に与えた影響は大きく、しかも少年犯罪の低年齢化を招いた。宗教勧誘にきた老婆を名古屋の女子高生が刺殺した事件でも、この女子高生が少年Aを賛辞していた。けっして、社会的影響がない人物ではなく、しかも、その後、有料メルマガで金銭を得ようとし、また、殺人衝動を焚きつけようとした行為にあっては許しがたい。この元少年Aが、「逆転」事件の原告当事者のように、平穏無事に暮らす生活をみだりに公開されたくないと願っていたのなら問題はない。だが、匿名でいながら、みずからの過去の汚点を商売道具にして、しかも反省のそぶりも見せない言動をとりつづけることに、怒りが湧かない、まともな日本人はいないであろう。

表現の自由は無制限ではない。
憲法12条、国民は自由権利を濫用してはならない。公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。遺族感情に配慮せず、人殺して金儲けするAも、出版社は、遺族に対して損害賠償責任を負うべきであり、またサムの息子法と同類の被害者救済制度を導入すべきだろう。

安保法案騒動のデモ活動でもそうであったが、憲法死守を隠れみのにして、野党や一部社会不満分子による、横暴なふるまいが目立つ。戦争反対を訴えて安倍政権を独裁者政権に演出しようとする憲法学者や左翼ジョーナリストらによる動き、儲けようとする出版社、民主党議員による自民党議員への議場内における暴行事件のマスコミ隠蔽、共産党による連合政府への不可解な賛美。デモ団体シールズの計画性の無いいんちきな発言。彼らが騒げば騒ぐほど、むしろ、自公政権への支持が増えているのは皮肉ではないだろうか。

なぜ、これまで誰ひとり殺さずに世界中で平和活動に勤しみ感謝されている、国内の災害活動でも命を晒して救助してくれる自衛隊に対してでなく、どこぞの人権派の主婦が起こしたとかいう護憲団体に、ノーベル賞が貰えるはずだと期待するのも意味がわからない。海に飛び込んで人命活動をした勇気ある人ではなく、側で見ていてこれみよがしに私が指示したんだよ、という人に対して表彰状が届くだろうか。理屈として、あきらかにおかしい。そもそも、ノーベル平和賞というのは、あきらかに欧米基準で選ばれていて、民衆が弾圧されている政権(中東やアフリカなど)に対する国際政治力学的な圧力のような面もある。日本の政府があたかも人権弾圧しているふうに演出して、それを訴える団体が平和の体現者のように装う欺瞞に対して、眉をひそめたくもなろう。

もちろん、安倍政権の少々強引なやり方には国民はただ黙っていいわけではない。
だが、五輪エンブレムの不正に名も無き告発者がいたように、公共の広場を占拠してわめくよりも、もっとスマートに糾すシステムは整いつつある。デモこそが民主主義などとという主張は、選挙権のない日本国民ではない者に政治を乗っ取られるということであり、それは日本国憲法が保障する国権に関わる事態ではないのだろうか。派遣法や労働基準法が改悪されたあのときに、なぜ、安保法ほど大騒ぎしなかったのだろうか。勤労する人生とは無縁な輩が集まっていただけなのか。

朝日新聞や共産党などの政治ヤクザ野党などが指す「国民」というのが、いったい誰のことを指すのか、自分たちの不正や欺瞞を見逃して購読してくれる読者のことなのか、私にはわからない。新聞も読まない愚民は、ネットばかり見て、記者様のありがたい「天からの声」を聞く力もないと思いたいらしい。残念ながら、私は天声人語が声優アプリ化しようが買うような人間ではないし、彼らの望む「国民」ではないのだと断言できる。


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