スーパーやコンビニ、書店に行くと、まれに可愛らしいPOPを見ることがあります。ひょっとしてこの人、そこそこのウェブ上で人気な絵師なのでは、と思うほどイラストが巧みなものもあったりして。微笑ましいなと思う反面、私の過去のしでかしが頭をよぎって恥ずかしくなることもあります。
今から20年近くも前、当時大学院に通いながら公立図書館の非常勤職員だった私。主な作業は貸出返却、書架の整理など。本の検索もできましたが、司書ほどの高度なレファレンス業務を行えたわけでもなく、所蔵本の選定などの責任もありません。まあ、かなり気楽な非正規仕事だったわけですね。当時はなんとなく文化的な雰囲気で働けたらいいなぐらいで、自分のキャリア形成のことなど全く考えていませんでした。
この図書館に勤めているとき、私だけが唯一おおせつかる仕事がありまして。それは企画展示本のポスター制作。余った紙の裏に、カラーマジックで手書きするもの。絵が上手な万葉さんだから、というのでノリノリで描いていました。もちろん、萌え絵みたいな絵柄ではなくて、いかにもお役所めいたパンフにあるようなお堅いテイストで。
子どもの頃から自治体のポスターでいくどか受賞経験があり、高校では生徒会の広報部長としてアーチの作成、学内のダンスフェスティバルのポスターを教師から依頼されたり。大学でも学園祭のパンフなどを手がけたこともある私にとっては、この作業は渡りに船。一もにもなく、喜んで請け負いました。
描いたポスターは司書さんからも好評。
でも、じっさい、展示本を手に取る利用者さんにはどう映ったのか。もし今の自分がみたら拙い出来に失笑したことでしょうね。
しかも、遅筆で過集中ぎみの私はこのポスター作成作業に何時間もとりくんだわけで。司書さん方にほんらいやるべきカウンター業務を肩代わりしてもらってもいました。今から考えるとよく許されていたな、と。私の在籍する大学には図書館業界の重鎮がいたので、そのお目こぼしで許されていただけなのでしょう。学生って、社会から甘えさせてもらえる存在なんですよね。それに、私はこの図書館勤務にはかなり情熱を持っていて、始業前と終業時間後も書架整理のサビ残を買っていた人間だったので、とくに可愛がられていました。そもそもオンとオフの切り替えが下手なこの働き方もよくありませんでした。
しかも、当時の司書さんたちも優雅で、お客さんがくると裏で長話に勤しんでいたりも。今のお役所仕事はサービス対価がかなり求められるので、こんなゆったり仕事をしていたら市民からおしかりが飛んできます。
そのあと、私はディスプレイ商品の業界でカタログの企画編集業務に携わりましたが、そこではじめて、会社の外に出すものには厳しい締切とクオリティへの注文があり、けっして自分のクリエイティブごっこは仕事のレベルに達しているものではない、ということを嫌というほど思い知らされたものです。正社員なのだから、好きな作業ばかりさせてもらえるわけではない。他人の仕事の泥もかぶらないと組織が回らない。
時間をかければ高品質なもの、見栄えの良いものを生み出せる自信はあるが、会社にはいくらでも業務があり、DTPソフトばかりいじっている業務ばかりさせてもらえるわけではありません。
今から思えば、私はそもそも文章や絵を描くことは好きなのですが。
そもそもセンスが桁外れですぐれているほどではなく、ただただひたすら一人で完結できる作業に没頭できればそれでいい、という脳の構造をもっただけの人間だったわけです。コツコツと何かをつくりあげるのが好きなだけで、チームで協働して何かを生み出すのも嫌いだし、そこでコスパだとか、利益率だとかも考えない。
自分の得意不得意が見えているようで、実は見えていない。
自分のデザインをかたちにして売れるものにするには、とんでもなくリスクの高い他人とのやり取りを経て信頼を勝ち取っていかねばならないのに、私はそういった経験値が不足していました。頑張って描いたものだから、誰かが褒めてくれるのかもしれない、まぁ、そんな他力本願思考です。
つい先日、ある大企業に勤める知人が、「AIを使った社内広報用の動画作成をしていて楽しかったのに、人事異動で生産管理の業務に配属されてしまった。せっかく私が苦心してつくったプラットフォームがあったのに、土台ができたとたん、後輩に渡されてしまってくやしい」と愚痴を吐きにきました。
私からすると、営利を追求する企業で、そんなお遊びめいた作業をさせてもらえるのは幸運であるいっぽうで、AIとはそもそも誰が使っても一定品質のものを生むツールなのだから、自分の業績やスキルアップとも言えず、そんな仕事は入社したばかりの若手に投げてよかったのではないか、と思いました(思っただけで本人には言わなかったけれども)。そもそも、こうした広報部門のバックオフィス業務は外注されやすいものなので、管理職候補になる正社員がやるべき業務でもありません。その人は美人で職場の花と言えるタイプだったので、そういった仕事をあてがわれたのでしょう。大企業なんだから、そういう働かせ方もアリなんじゃないかな、とは思います。
自分のスキルを発揮できる仕事、感性が光り楽しいと思わせる作業、長時間のめりこんでも飽きない作業、他人に奪われず口出しされない、自分だけの作品と言えるような成果。こうしたやりがいのある仕事を会社はすべて経費持ちで、給料を払いながら、あなたに与えてくれるわけではありません。
もし自分が自分の好きなように働きたいのであれば、自分で起業するほかはなく、しかも個人事業主になったからにはお金、時間、人の管理を自分でできなくてならないのです。しかも自営業には会社員のような社会保障が充実してはいません。もし本業で食えなくなったら、自分が嫌だと思っていたその日しのぎのバイトで生きていかねばならなくなるかもしれない。
組織の中でがんじがらめになって自由に働けない、だけども、すこしでも自分の気の晴れるような気持ちのいい仕事を見出して、世知辛いお勤めをのりきっている。そして、休日には趣味やレジャーざんまいでリフレッシュしている。そんなサラリーマンの方は多いのではないでしょうか。
好きな仕事をしているが食えない、苦しい、と延々とわめいているよりは、生活のためにとわりきって仕事する人の方が、私には輝いて見えるのです。好きな仕事なのに低賃金で食えずに、その作業が呪いになってしまうよりは、健全なのかもしれませんね。
(2024.10.25)