お正月休みは読書三昧。
兼ねてから読みたかった一冊をご紹介します。
小説『楽園のカンヴァス』は、原田マハの山本周五郎賞受賞作。著者はニューヨーク近代美術館(MoMA)での勤務経験もある元キュレイター。豊富なアートへの造詣を活かした初の長編小説として、そしてまた直木賞候補作としても話題になりました。
楽園のカンヴァス

2000年、倉敷の大原美術館で監視員をつとめる早川織絵は、母、高校生の娘との三人暮らし。かつて国際美術学界で耳目を集めた経歴をもつ彼女にとって、作品と静かに向き合えるこの仕事時間は、至福のひとときだった。ある日、織絵は館長と学芸課長から直々の呼び出しを受ける。それは、なんとMoMAでチーフキュレイターを務めるティム・ブラウンからのオファーだった…。
目次の構成から察すれば、織絵とティムとの再会がエピローグに用意されていることは明らか。となれば、間に挟まれた第九章はふたりの恋人の淡いロマンスなのか。いやいや、さにあらず。織絵とティムは、スイスはバーゼルにある、とある大富豪の館で、真贋鑑定の好敵手どうしとして相見えることになります。
そのとき、今をさかのぼること17年前の1983年。
争われたのは、アンリ・ルソーの最後の大作にして、MoMA所蔵の至宝『夢』とあまりにも似て、異なる幻の作品『夢をみた』。与えられた期間は一週間、ふたりの若きルソー研究者は、一冊の古書にしるされた物語を読み解き、判定を下すのです。
過去のパートはティムの視点から語られていくので、本ヒロイン織絵がやや理想化された女性として描かれている部分がやや仰々しく感じるものの、ミステリー要素が随所にあって、読み応え十分。研究者としての新説を打ち出したい、定説を覆したいという矜持と、名のある職分への野心、純粋な画家への好奇心。権力と金にまつわって、偽りの招待者ティムへの脅迫。そして、女性としての織絵の揺らぎ。ルソーの人生自体も謎に満ちたものですが、熱帯の楽園を描いたカンヴァスを巡る、オーナーとその代理人、研究者たち、そしてインターポールのアートコンサルタントまでが介入し、攻防を繰り返します。はたして、ルソー作の幻の一作の秘密を暴き、最後にそれを手中に収めるのは誰なのか。
モダンアートの息吹に触れたことのあるものならば、百年前の前衛華やかなりし時代の空気感を、画家の視点ではなく、モデルといった市民的な観点から描き出したところは新しいと言えるかも。基本的に悪役は登場せず、救いが用意されているので、読後感は悪くはない。にしても、あの超有名な世紀の天才画家があそこまでお人好しだったのは若干信じがたい事実ですけどね。
芸術家問わず偉大な史上の人物を作品にする場合、しばしば、作者の情熱が行き過ぎてしまい、賛美絶賛、価値が無限に吊り上げられる危うさはあります。フィクションでなくとも、人文科学の論文でも同じ。自然科学論文の検証データ捏造のような、過剰な持ち上げの可能性も否めない。しかし、選んだ題材は、美術の教科書でなら誰もが目にしたことのあるあの幻想的な一枚。そこが本作が成功した所以だったのかもしれません。絵の知識がなくとも、絵の楽しみ方を教えてくれます。画家にせよ、コレクターにせよ、研究者にせよ、作品の魔力に取り憑かれたものの哀しい性(さが)がありますね。著者によりますと、ダン・ブラウン著の『ダビンチ・コード』の影響を受けているのだとか。
惜しむらくは、本作に図版が付随されていないことですね。
図版がついたら芸術書なみに高くなっちゃうのでしょうけど。作中の絵画をご存じない方はこちらをご参照あれ。
(2014年1月2日)
【画像】
アンリ・ルソー作『夢』(1910年、ニューヨーク近代美術館所蔵)