雑誌「ダ・ヴィンチ」に、就職氷河期世代の特集が組まれていたことがありました。
ついでになぜか百合特集もあって、私も興味深く読ませていただいたのですが。新卒時に就職しづらかった、もしくは夢追いでキャリアスタートを遅らせてしまった通称ロスジェネ世代の声を募るなかで、ベーシック・インカムの充実を訴えるひともいました。氷河期世代とはいえ、やたらと自分の世代ばかりを不遇だと嘆くのには違和感があります。統計を見れば、じつは、50代近くのバブル世代でもリストラで失職してしまった、子育てや介護を抱えた40代以降に賃金が抑制されてしまった人もいるわけですから。私たちはもうあたたかな時代を夢見られなくなった、最初の世代なのかもしれません。
ベーシック・インカムとはなんぞや?
最低限の生活に必要な現金を政府が国民に給付する制度です。
実験的に導入されているフィンランドについて、読売新聞朝刊2018年8月14日付け記事があります。以下、要約を。
フィンランドのベーシック・インカム実験は、毎月560ユーロ(約7万円)が口座振込される。対象者は25~58歳の失業者2000人で、2018年までの2年間限定。働いても減額されないのが失業給付と異なる。
その狙いは、低収入でも新しい仕事に挑戦したいという就労意欲を高める。起業やキャリアアップの学び直しもしやすくなる。また、複雑な社会保障制度をシンプルにできる。その反対に、収入・資産ある人にも無条件で現金給付するには財政負担が大きすぎる、働こうとしない人が増える、という根強い批判もある。
日本の識者によれば、先進国で中間層の安定雇用が揺らぎ、労働して保険料を納付する社会保険制度の維持が機能不全ではないかという指摘もある。AI(人工知能)の普及で大量の失職者が生まれ賃金が下がる将来を見据え、導入は検討されてもよいが、多大な費用がかかる。現金給付に頼れば、保育や介護などのサービス給付が軽視されやすい。まずは公的な住宅手当や、給付付き税額控除など、補完型の所得保障で支える必要があるという。
社会保障制度は確かに複雑で、しかも自営業者よりも会社員に手厚くなっています。
失業、出産育児介護、負傷や障害など、働く人にリスクはつきもの。会社員が業務上の負傷をすると、健康保険の療養給付か、労災の療養補償給付か、いずれかを選ばないといけない。遺族厚生年金や障害厚生年金も、自身が老齢基礎年金受給可能な65歳になれば一部が支給停止にされます。雇用保険の失業手当(正式名称は「求職者給付の基本手当」)は廃業した事業主にはもらえませんし、雇用保険に加入したことがない自営業者やフリーターが資格取得したくても、「教育訓練給付金」は支給されない。失業しても受給できる「教育訓練支援給付金」もあるにはありますが、被保険者でなくなってから一年以内などの期間や訓練開始時の年齢などの一定要件があります。
このあいだ、石綿建設訴訟でやっと肺癌で死亡したもと一人親方にも労災補償が認められるという画期的な判決が下りました(その後、国が上告したのでいまだ係争はつづく)。危険な作業ほど、企業は下請け、派遣社員へ押し付けたがるもの。同じ現場で働く人どうしで補償が異なるのはおかしい。
雇用保険、労働災害補償保険、健康保険、そして国民年金と厚生年金。さらには生活保護。
社会保障制度は複雑で申請書類も煩雑で、処理に時間がかかります。多様な社会保障を一括にし、さらに働き方で所得格差問題に適応できるというベーシック・インカムは、魅力的に思えますし、政党が公約に掲げてもいる。でも、ほんとうにそうでしょうか?
欧米などではジャーナリストが人員削減で大量に解雇されており、ネット上でフリー記者として社会批評をしながら暮らす人のように、いわゆる自由業にとってはこの制度、大歓迎でしょう。私は新聞の愛読者でありますが、ジャーナリストすべてが真実の発言者とは限らない。いつまでも売文の徒がエリート面したいばかりに世間に需要がない職業にこだわるべきではないし、現金給付をするというのならば、保育士や介護士など、社会体制維持上必要不可欠だが、報酬が低く抑制されすぎている職業に限るべきではないでしょうか。農家や漁師、林業など、災害に被害を受けやすいが環境維持や国防上必要な職業が公金で支援されるのを、私はおかしいとは思いません。
2008年に当時の麻生政権がおこなった定額給付金、覚えていますか。
1万円ぐらいとはいえ、私も頂いたので有難かったですが、お金のバラマキで人心は当時の与党から離れていってしまいました。竹下政権時の1億円バラマキもろくな使い道がなかった。なぜ、あのときのお金で多くの自治体は国保などの赤字の穴埋めをできなかったのか。埋蔵金があるぞ、省庁再編や公共事業削減で無駄をなくすぞと息巻いていた民主党政権も瓦解。札束で頬を叩くような政策には、国民はもう飽き飽きしているんです。カネさえあれば幸せになれるという打ち出の小槌に。
無条件で現金が給付されれば、働く意欲をなくしますし、人間は堕落します。
仕事ばかりでも心身を痛めますが、休んでばかりいてもおかしくなる。労働することを忘れて、宝くじをずっと購入し続けるひとや、見境のない投資やギャンブルに嵌まる人もいる。親の遺した資産で豪遊したり、生命保険金が入って有頂天になってしまったりするひとは、破産しやすく不幸になりやすいと言われています。賭け事に夢中になるひとに、家庭を大事にし、仕事に向き合う姿勢がほほえましいひとを私は見かけたことがありません。道楽にばかり熱中しすぎると、家族関係も破綻します。というか、人間に愛情が持てないから、モノにばかり恋着するといったほうが正しい。
社会保障制度上の申請が複雑なのは当然で、あくまでほんとうにお金に困っている人が、助けてほしいという明確な意思表示をし、一時的にお世話になるために条件を限定するためだからです。マイナンバーが浸透すれば、個人の社会保険加入状況や資産も把握されるでしょうし、ビッグデータによって健康状態まで管理されるようになるでしょう。きちんと健康管理を怠らない会社員からしたら、酒浸り、ギャンブルやゲーム漬けの生活保護者や失業者に給付を手厚くすることには、しぶとい反発があるでしょう。
政府が行うべきことは、生活保護受給者や失業者であっても、道路清掃や安全警備などの簡易な作業ボランティアでも担ってもらって社会復帰を促すことであり、病気や障害がある人でも働ける体制を支援することです。少しでも仕事があり、社会に役立っていると感じれば、存在意義を確認することができますし、誰もその姿を責めることはないのではないでしょうか。過労ぎみの職場で補助的業務をワークシェアすれば、業務進行も改善されるでしょう。
つい先日、長時間労働が難しい精神障害者が週20時間未満の短時間労働でも、雇用企業に障害者雇用調整金を支払う方針を厚生労働省が決めたそうですが、喜ばしいニュースです。高収入の職に就いても、過酷な労働でうつ病になり満足に働けなくなってしまう人もいます。人間、趣味ばかりに浸っていても当面は楽しいですが、人生に張り合いがなくなり、孤独を感じ、運動機能が衰えるので不健康になり、ひとと対話能力を磨かないので不機嫌になりやすくなります。仕事で行き詰まったときに、どう生きればいいか壁にあたって知恵を絞るようになります。
キャリアでいったん立ち止まってもやり直しができる社会構築を目指すべきであって、働かないままお金が得られるようなシステムを設計すべきではありません。失業率が高い国のように、いずれ債務超過に陥って国家破綻してしまいかねないでしょう。ベーシック・インカムは導入するべきではない。
ところで、冒頭の雑誌の話。
百合で、ロスジェネ世代、という抱き合わせの特集。夫婦がいて子がいるという標準世帯モデルが突き崩された端緒がロスジェネ世代にあったというのならば、合点がいくような、しかし、それですべてを納得したくないような…。すでに若者でもなく、家や車といった豊かさの象徴に背を向け、経済的に自立できずに、二次元の疑似的な愛情にすがるしかない。その要求に応えたのが、かつてのトレンディドラマを否定するような現今のヲタク文化なのかもしれませんね…。昭和時代に生まれた私たちは、昭和ならではの熱い経済再生の復活劇をどこかうさんくさく考えるふしがあり、それは平成の終わりになっても、次の次代がきても続くことでしょう。