我が家は読売新聞の朝刊をとっていますので、毎日読むのを楽しみにしています。
スマホあるし、ネットニュース見られるからという方もいるでしょうが、やはり、毎日活字が届くのは嬉しいものです。それが、一日、二日遅れでやってきた話題だったとしても。
さて、その読売新聞の名物記事と言えるのが、「人生案内」コーナー。
人生もろもろのお悩みを抱える投稿者に対して、識者各位が助言を与えるというもの。なかには、法律や医学の深刻な問題もあるので、それにふさわしい専門家が回答しているものもあります。この手の人生相談の場というのは、どこの新聞にもあるもので、たとえば朝日新聞では、土曜版別刷りに載っていたりしました。で、回答者ごとに違いがあるもので、各識者ごとにエッセイとして単行本で刊行されていたりしますよね。
だいたい、毎日目を通して、その日のうちに忘れてしまうようなものが多いのですが、中にはかなり強烈に記憶に残ってしまうものありますよね。この相談に対して、私だったらこう答えるだろうかと考えて、回答者へ目を移すと、予想の斜め上を行くようなお言葉があって、びっくりします。今は読んでいないけど、朝日新聞だったらヲタク評論家としても有名な岡田斗司夫氏のユニークな切り口が好きでしたし、読売新聞でしたら哲学者の鷲田清一氏、作家の出久根達郎氏、精神科医の野々村聡一郎氏などが共感できますね。朝日は識者によっては、かなり癖があるのですが。
この読売新聞の人生案内は歴史が古いらしく、そもそも遡れば大正時代にまで至るということです。大正時代に滝に身投げした学生とか、親に許されないので駈け落ちで恋愛心中したとか、借金苦だとか病苦だとか、それは今と変わらぬ生きることの苦しさはあったことでしょう。で、平成の現代もつづくこの人生案内は、あまりに評判なので、稀にネットを騒がすこともあるようで。
記憶に新しい相談内容が、ネット上で話題になっていました。
新聞の投書欄の「別れた彼氏が亡くなった」の相談に対する返答の助言の切れ味が尖すぎて話題に!「キレッキレ」「私も気をつけよう」
相談者は20代会社員女性。お互いの生活のために分かれた恋人の死を知り、後悔と自責の念に押しつぶされている。そして、回答者のノンフィクションライターSさんは、相談者が自己憐憫で泣いていることを諫め、さっさと前を向いて歩こう、とアドバイス。この潔い助言に、ネットではかなり賞賛されているのですが…。
私、最初に読んだときに思ったのは。相談者が語ってもいないことを勝手に想定して回答していやしないか、ということです。この元恋人が将来に悲観して、しかも恋人が支えてくれなかったことにも絶望して、自殺(?)した──という筋立てになっていますが、相談者がそこまで書いていたのか分かりません。この相談者が呼ばれてもいないのにお通夜や告別式に出しゃばって、とっくに別れた恋人の嫁さん気取りで、遺族の顔を潰したというのなら身勝手だと思いますが。そもそも、まだ若いのだから、はじめての恋人は特別なもので別れても気になるし、身近な死に触れたことがないならば、トラウマになってもしかたがない。寿退社で専業主婦が多かった価値観の女性と違って、男女共働きが当然視されている若い世代からすると、夢追い人の恋人に自分の未来を賭けられないというのはありえる選択肢だし、別れを切り出したのはそもそも彼氏のほうからかもしれないですよね。事故死か病死かもしれませんし。
この回答者はあくまで他人事ですし文筆業ですから自分、理路整然とよく言い切った!と思っているのかもしれないですが、女々しくてうっとうしいなと心の底で思っていても、本気で当人の前でこんなことを言ったら、とんでもないことになります。このライター女性は、ご自身のお子さんにもこんな突き放した態度なのでしょうか。若者に苛立っている余裕のないご年配のように思えます。ふつうは、相手の意に沿いつつも、やんわりと最後に自分の主張をつける、イエス・バット法で行った方がいいと思うのですが、冒頭から全否定なのにびっくりします。生きているだけで、あんたマシじゃない、って言われて納得しますか? この人の本は、買いたくないですね。他人の苦悩を文章のネタぐらいにしか考えてないですから。
このような事例じゃないけれど、カウンセラーを名乗る人に相談したら、かえって余計に傷ついたということはあります。 もちろん、相談の仕方が悪かったケースもありうるけれども。彼らは人の苦しみで商売しているのに、それをあざわらっているとか、かえって傷口に塩を塗り込む真似をするとか。他人の不幸は蜜の味だと言わんばかりの言葉で殴るとか。うわべだけの共感で他人の哀しみは無理に背負わなくともよいが、しかし、その苦痛を蹴り上げるのはいかがなものか…と思わないでもないですけどね。
スマホあるし、ネットニュース見られるからという方もいるでしょうが、やはり、毎日活字が届くのは嬉しいものです。それが、一日、二日遅れでやってきた話題だったとしても。
さて、その読売新聞の名物記事と言えるのが、「人生案内」コーナー。
人生もろもろのお悩みを抱える投稿者に対して、識者各位が助言を与えるというもの。なかには、法律や医学の深刻な問題もあるので、それにふさわしい専門家が回答しているものもあります。この手の人生相談の場というのは、どこの新聞にもあるもので、たとえば朝日新聞では、土曜版別刷りに載っていたりしました。で、回答者ごとに違いがあるもので、各識者ごとにエッセイとして単行本で刊行されていたりしますよね。
だいたい、毎日目を通して、その日のうちに忘れてしまうようなものが多いのですが、中にはかなり強烈に記憶に残ってしまうものありますよね。この相談に対して、私だったらこう答えるだろうかと考えて、回答者へ目を移すと、予想の斜め上を行くようなお言葉があって、びっくりします。今は読んでいないけど、朝日新聞だったらヲタク評論家としても有名な岡田斗司夫氏のユニークな切り口が好きでしたし、読売新聞でしたら哲学者の鷲田清一氏、作家の出久根達郎氏、精神科医の野々村聡一郎氏などが共感できますね。朝日は識者によっては、かなり癖があるのですが。
この読売新聞の人生案内は歴史が古いらしく、そもそも遡れば大正時代にまで至るということです。大正時代に滝に身投げした学生とか、親に許されないので駈け落ちで恋愛心中したとか、借金苦だとか病苦だとか、それは今と変わらぬ生きることの苦しさはあったことでしょう。で、平成の現代もつづくこの人生案内は、あまりに評判なので、稀にネットを騒がすこともあるようで。
記憶に新しい相談内容が、ネット上で話題になっていました。
新聞の投書欄の「別れた彼氏が亡くなった」の相談に対する返答の助言の切れ味が尖すぎて話題に!「キレッキレ」「私も気をつけよう」
相談者は20代会社員女性。お互いの生活のために分かれた恋人の死を知り、後悔と自責の念に押しつぶされている。そして、回答者のノンフィクションライターSさんは、相談者が自己憐憫で泣いていることを諫め、さっさと前を向いて歩こう、とアドバイス。この潔い助言に、ネットではかなり賞賛されているのですが…。
私、最初に読んだときに思ったのは。相談者が語ってもいないことを勝手に想定して回答していやしないか、ということです。この元恋人が将来に悲観して、しかも恋人が支えてくれなかったことにも絶望して、自殺(?)した──という筋立てになっていますが、相談者がそこまで書いていたのか分かりません。この相談者が呼ばれてもいないのにお通夜や告別式に出しゃばって、とっくに別れた恋人の嫁さん気取りで、遺族の顔を潰したというのなら身勝手だと思いますが。そもそも、まだ若いのだから、はじめての恋人は特別なもので別れても気になるし、身近な死に触れたことがないならば、トラウマになってもしかたがない。寿退社で専業主婦が多かった価値観の女性と違って、男女共働きが当然視されている若い世代からすると、夢追い人の恋人に自分の未来を賭けられないというのはありえる選択肢だし、別れを切り出したのはそもそも彼氏のほうからかもしれないですよね。事故死か病死かもしれませんし。
この回答者はあくまで他人事ですし文筆業ですから自分、理路整然とよく言い切った!と思っているのかもしれないですが、女々しくてうっとうしいなと心の底で思っていても、本気で当人の前でこんなことを言ったら、とんでもないことになります。このライター女性は、ご自身のお子さんにもこんな突き放した態度なのでしょうか。若者に苛立っている余裕のないご年配のように思えます。ふつうは、相手の意に沿いつつも、やんわりと最後に自分の主張をつける、イエス・バット法で行った方がいいと思うのですが、冒頭から全否定なのにびっくりします。生きているだけで、あんたマシじゃない、って言われて納得しますか? この人の本は、買いたくないですね。他人の苦悩を文章のネタぐらいにしか考えてないですから。
このような事例じゃないけれど、カウンセラーを名乗る人に相談したら、かえって余計に傷ついたということはあります。 もちろん、相談の仕方が悪かったケースもありうるけれども。彼らは人の苦しみで商売しているのに、それをあざわらっているとか、かえって傷口に塩を塗り込む真似をするとか。他人の不幸は蜜の味だと言わんばかりの言葉で殴るとか。うわべだけの共感で他人の哀しみは無理に背負わなくともよいが、しかし、その苦痛を蹴り上げるのはいかがなものか…と思わないでもないですけどね。