選んでるのに、実は選ばれていたってことありますよね?
選ばれていたのに、逆に選んでいたってこともあるんです。
投票権が得られた二十歳になったばかりの頃。
学生だった私は、その当時、総理が誰だったのかぐらいは分かったけれども、どんな政治が行われて、どんなことが争点になっているか、知りもしませんでした。はじめての投票は誰の名前を書いたのか忘れました。でも、比例区では、「農民なんとか党」とか、まあいかにも誰にも見向きもされないような、無名のグループの名前を書いたように記憶しています。
年齢を限らずに言うとしても、現在の投票で、ちゃんと立候補者の演説を耳かたむけ、政策を比較し、自分の見識と信頼で投票できているひとはどれくらいいるのでしょうか。ほんとんどの国民がそうでありたいと信じたいけれど、二十歳のお馬鹿さんな私のように、よくわかんなけいけど、こいつにポチっちゃえ、みたいなフォロワー感覚の有権者もいるかもしれませんね。
毎日の献立を考えるのめんどうだから、もうマンネリでいいや、と思って、その人に投票しつづけていたら。見てくれが良くて、声もとおるし、なんか大きなことやってくれそう、みたいな軽い期待値で一票入れたら。わたしたちとおなじ「庶民」出身で、気持ちを代弁してくれそうだからと信じて、応援したあの候補者が。当選したとたんに、ほんっと呆れるぐらいに、なにもしない政治家、もしくはこっちが望んでもいないことばかりする政治家、になってしまうことは、よくあります。なぜかといいますと、人間はいちど地位を手にするとそれを維持することに集中するからです。
つい最近、国民の選挙権が十八歳から公使できる見通しとなりました。
有権者が増えることは望ましく、これについての異論はありません。日本は高齢化社会を迎え、すでに四人に一人は六十歳以上、年金世代。それを支えるはずの現役世代はどんどん少なくっている。となると、若い世代の意見が政治に反映されることはとても望ましい。だからこそ、有権者の制限年齢を押し下げたのです。
しかし、ちょっと、待てよ、とも思います。
日本での十八歳、十九歳の多くは学生が多いはず。受験生は忙しいですし、最近の大学生は仕送りが減っているのでアルバイト三昧で、ゼミの懇親会にも出られないくらい、だとも聞きます。親や家族が病気や障害になったために、介護しながらバイトや学生生活を続けている人もいるそうです。また地元を離れても、住民票を親元に残している学生も多く、長期休暇期間内でなければ投票できない若者もいます。事実、私は大学院修了までの数年間、ほとんど投票したことがありません。
このように権利の間口をひろげたとしても、使えなくなる怖れがあるのです。
私はまさに、それこそが、政治家の思う壷ではないかと思うのです。いやらしい言い方ですが、宝くじが当たっても引き換えに来ない人が多いほうがいいに決まっています。うさんくさい保険の契約書などでは、たいがい、お客に都合の悪いことは、裏側に読みにくい小さな文字で書かれてあるような。参加させる権利は与えてやるけれど、けっして、貴様らのいいようにはさせないぞ、と口を封じていくのが、国民に選ばれたように見えて、じつは国民を選ぼうとしている人たちの理屈です。ネットでイメージアップを図るのがうまい、若者受けする政治家が必然温存されていくことになります。
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国民選挙エイティーン(後)
投票権を広げるのは大賛成なのですが、有効な一票を投じられるように、学校なり地域なり、ご家庭なりで話し合う機会を設ける必要があります。そして若年労働者が投票しやすいシステムも。
【画像】
ラファエッロ・サンティオ『アテナイの学堂』(部分)1509-10年、フレスコ画、バチカン宮殿