姫子の顔半分が、コットン生地で覆われてしまう。
羽毛でやさしく包まれたような感じが顎にまとわりついている。耳の付け根にくすぐったい指先の感触が残っている。だって、いつも千歌音ちゃんてば、耳たぶをつまんだり、ここを触ってきたりするんだから。
「ん。これ、マスク?」
「そう、乙羽さんに協力して型紙を切ってもらって仕上げてみたの。特殊なしかけがあるから、業者さんを呼んで細工してね。着け心地はいかが?」
千歌音がそっと鏡を差し出すと、姫子の声がややくすみがちに聞こえるのはマスクのせいだけではないだろう。甘い期待を裏切られたのを知ってか知らずか。千歌音が目を細め、ゆかしげに含み笑いをしてみせる。
鏡に映るすがたは本当のものではない、そう言うけれど──姫子はなんとなく自分のすがたが新鮮だった。
ぼんやりすると薄く開いてしまう口もと、千歌音ちゃんよりは丸くて低めの鼻。ちょうどいい具合に隠れて、頭が冴えてる子の眼鏡を借りたみたいになんだか賢そうに見えちゃう。風邪を引いた子が涙目でちょっと色っぽく見える理屈がわかろうかというもの。何かを隠すことでどこかが際立つ、そんな魔法があるのだ。
「うん、着け心地はいいよ…でも」
「何かいけない…?」
「…なんで、布の真ん中にわたしの顔が?」
「姫子は『こちら』の方がよかったのかしら?」
といいつつ、千歌音がかけた布マスクに描かれたのは――なんと、姫宮千歌音本人の顔! といっても、証明写真めいた、四角四面のなかにきっちり収まっていそうな、よそ行きの表情だ。生活感のないこの部屋にふさわしい千歌音ちゃんの心もち厳しめな顔。礼儀正しいひとが鏡もなくおこなえる、はみ出しの少ない顔つき。カメラを携えたのは、さきほどの業者の誰かなのだろう。
「千歌音ちゃん…まさか!?」
「このマスクは二枚でひとつ。つまり、いまは濃厚接触ができないからリモートで…」
よもや、よもやの、神無月の巫女ED絵のマスク再現とでもいおうか。
想像したら、姫子は燃え上がるように顔が熱くなって。息を広げようとマスクを外したとたん、目が点になった。
「マスクの裏にも千歌音ちゃんが…」
「そうそう、リバーシブルになっていてね。つまり、このマスクを着用していれば、私は離れていても、ずっと姫子と触れ合って…」
「わあああ!! ちょっと、ストップ!」
はあはあ。心臓がどくんと跳ねあがる。
なんとなく顎にフィットしてゆったりした膨らみがあるのに、唇に触れる布地が吸いついてくる感じがしたのはそのせいか。いわゆる間接なんとか、だ。うん、こんな萌え漫画みたいな発想自体がなんだかこっ恥ずかしすぎる。
「そうそう。忘れていたわ。中央部の熱センサーに反応してね、自動音声が流れたりもするの。風邪で喉が涸(か)れても大丈夫」
──貴女が好きなの。春の煌めきのような瞳の…うんぬんかんぬん。
聞き覚えのあるしっとりした麗しい声が、部屋いっぱいにこだまする。もう何度目だろう、この台詞。その声は録音ではなく、本人の口から聞かせてほしい。わたしの体内、いま絶対、地球よりも温暖化が高速で進んでしまっている。
「そんな発明いらないよッ!」
「もちろんこれはふたりだけの特注製。メイドさんたち用は別オーダーで製作しているの。乙橘学園生徒用に購買部で売り出してもいいわね」
「…わたしも普通のでいいよ、千歌音ちゃん」
──というわけで。
ふたりのお揃いマスク計画は振り出しに戻ったのでした。姫子が自分で自分のものを増やせないのも、千歌音ちゃんにお任せで好きなようにさせているからなのでした。身の回りのことにまであくせくと世話を焼かれてしまい、それはお嬢さまのお仕事でないと乙羽さんたちにせっつかれて、「千歌音ちゃんの姫子」になるのも楽じゃないのです。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「想いの後先」