新しく発足した菅政権で、特に注目されているのが、河野太郎行革相の動きです。
各省庁にお触れを出し、押印をなるべくなくよう働きかけたとのこと。政府はマイナンバーカードの普及を含めた、デジタル庁の設置をもくろんでいます。その皮切りとなる改革の一歩なのでしょう。
ハンコが当たり前になったのは、明治時代からとされています。
庶民の識字率が低かったので、苗字を許されても署名できない。そのために、ハンコが普及したのだとか。ハンコは日本独自の文化ですが、意外にも発祥は近代という。そういえば、武士は直筆の花押が身分証明代わりでしたね。
ハンコに悩まされた経験は数知れずです。
親元を離れていた学生時代、奨学金の申請に保護者印が必要。自分の判とは異なるものです。帰省するわけにもいかず、郵送でも時間がかかる。学生課の職員にすすめられたのは、判を買って代わりに押せばいいというものでした。署名も手蹟を変えておけばいいと。ぶっちゃけ、これでは捏造し放題なのでは…と思いつつ、そのときに買った実印、銀行印、氏名印のセット、かなり重宝しました。でも、苗字が変わって使えなくなりましたけどね。わたしの旧姓は、かなり珍しいので、100均の判では見つかりません。今の苗字もあまりないほうですけどね。
社会人になってからも、ハンコは私の人生を苦しめます。
履歴書で判がすこし歪んでいる、かすんでいるだけで、個人の人格や能力まで測られる。小切手の収入印紙の消印が汚すぎる。決裁待ちの文書はハンコひとつのために、なかなか社内で回らない。取締役設置会社では、重役が多いので、稟議書がいつもどこかで停止中。共有する雑誌や新聞までもハンコ押しで回覧。PCをLANでつなげて共有してデータを読めばいいのに、電子書籍版を購入しやがれとか、さっさと電子署名んすりゃいいのに、そんなふうに思います。いや、古い体質の業界新聞や広報物は電子版になってないんですね、トホホ。
個人事業上、お付き合いのある事業主さんの話。
取引先の病院は院長さんが契約当事者。なのに、病院の印は理事長の妻たる母親が管理しているので、なかなか許可がおりないで困っている。事業主あるあるです。会社だと、丸印、角印、代表者のゴム印、銀行印いろいろ。文書によって押すものも、位置も違う。知らないと恥ずかしいビジネスマナー、でも、うっかり寝ぼけてミス押ししてしまい、決裁がすべて回ったのにあわや文書を一から再作成なんてこともあります。
ハンコ文化はすべてについて、すぐなくすというわけではなさそう。
やはり重要文書や契約書については、判が必要。契約の二者が一部ずつ保管する契約書にある割印はどうするのか。あとから改ざんを許す捨印はなくせばいいと思うが、いちいちお伺いをたてて変えるのもしちめんどうくさい。公共事業関係でお役人と契約書を交わしたときに、いちいち細かいことまで電話で確認をされたのは驚きでした。ああ、これでは、なかなか契約など進まないでしょうな。
ハンコ文化減滅の流れ、大賛成です。
でも…銀行座が本人知らずに偽造されたり、なりすましでログインされたり、そんなことが続く昨今。はたしてアナログの不便さばかりを強調してなくしてよいものか、という気がしないでもありません。多くの人手を介し、判を押し、熟議を重ね、敢えてやらなかったからこそうまくいった事例も、この世のなかにはあったのでしょうからね。
それにしても、今回の流れで戦々恐々としてるのは、ハンコ業界の皆さんでしょう。
ご愁傷様としかいいようがありません。個人印って苗字が同じだから使いまわしできるので、中古市場に流れてもおかしくはないけれど、判子=個人の代紋みたいな信仰があるのか、あまり売買されないですよね。
判子ついでにいうと、旧来の習慣を破りたいのならば。
結婚時の姓の変更も自由にしてほしいですね。そのひとと結婚したいけれど、相手の家の事情は背負いたくない、他人の名前になりたくない人、結構多いでしょうし。夫婦別姓って、なんで認められないのかフシギですね。同性婚はそろそろり認知されはじめているのに。
こんなこと書いていますが。
文具屋さんで、可愛い判とかあったり、おしゃれなスタンプ印が通販にあると買いたくなるのって、やはり日本人の性(さが)なんでしょうかね。LINEのスタンプの流行も同じ原理ですよね、きっと。
画像は数年前に出た、人気魔法少女ものアニメのキャラフィギュア付き判子なんですが、この作品自体はファンではないけれど、正直、買いたいと思ってしまった私がいます。その黒髪で巫女服はずるいでしょ! キャラデザの商標権を思いっきり侵害してる気がするんですが(言いがかりです)
神社の御朱印とか、絵画の落款とか、たぶん、そのあたりの文化として根付いた判子は、とうぶんなくならないというか、逆に日本独自のものとして愛されて残るのかもしれませんね。